大井川通信

大井川あたりの事ども

五月雨忌

先月、作家の忌日を調べる機会があったが、その時、五月雨忌というのが目についた。シンガーソングライターの村下孝蔵(1953-1999)の命日を、最大のヒット曲「初恋」(1983)の冒頭の歌詞「五月雨は緑色」に因んでそう名付けられたらしい。

純朴そうな人柄とルックスとともに、何より楽曲の良さと歌の実力とで、多くの人々から46歳という早世を惜しまれているのだろう。

僕は、「初恋」のヒットでメジャーになる前から、たまたま彼のことを知っていた。セカンドシングルの「春雨」(1981)を録音したテープを、姉が繰り返し聞いていたからだ。ラジオで流れた無名の新人の歌を気に入って、いい曲だと教えてもらったと思う。僕も気に入ったけれど、この新人、結局売れなかったとがっかりした記憶がある。当時の音楽文化では、ラジオとラジカセとカセットテープは必須だった。

だから、今でも僕にとって「春雨」は特別な曲で、彼のベスト盤を聞いても、独特な情緒を帯びた音色で聞こえる。

村下孝蔵の思い出はもう一つ。初めの入社した保険会社をやめて、九州から東京まで、車で帰った時のことだ。見たかった寺院建築を見ながら、車中泊やサウナに泊まったりして、ゆっくりと日本列島を縦断した。その時、繰り返し聞いたアルバムの一枚が、村下孝蔵だった。あとは佐野元春荒井由実、1987年当時はまだ、カセットテープが主流だったと思う。

今回のコロナ感染の後遺症のためかわからないが、僕は音楽が聴けなくなってしまった。味覚がなくなるという後遺症があるくらいだから、五感に関して影響があってもおかしくないだろう。実際に聞こえないわけではなく、その意欲、関心が失われたというだけだが。僕がもう一度、村下孝蔵を味わう日は来るだろうか。