大井川通信

大井川あたりの事ども

仕事をめぐって

「仕事大全」ファイルを通して、新しく気づいたことがある。

僕は長い間、仕事は、生活のためにやむを得ず、仕方なくやっているものと思ってきた。だから表面的にはともかく、内心ではそこまで熱心でも一生懸命取り組んでいたわけではない。もちろんそんな気持ちでは、不器用なタイプの僕は、仕事上成果をだしたり評価されたりすることも少なかった。

それでもかまわなかったのは、自分の本領が仕事外の別のことにあると思っていたからだ。たとえば本を読んだり、考えたり、書いたり、勉強会や読書会をしたりすることである。

ところが組織で仕事をしていると、内心熱心であるか否かに関わらず、自分の全エネルギ-の内、八割とか九割を仕事のために割くことを強いられる。自分の本領と思う活動には、実際には一割も割けない。すると、時間が経てば経つほど、自分が本領と自負する部分が、実際にはそれに値しない「しょぼいもの」になっているのに気づかざるをえなくなる。これは、仕事外にアイデンティティを置いている人間にはつらい話だ。

そんな中で、そうした仕事外の活動は、(生存本能からか)仕事に背を向けるものではなく、次第に仕事を支援したり仕事に役だったりするように性格を変え、仕事と仕事外が融合した活動に自分のアイデンティティは移っていく。

しかし、「仕事大全」ファイルを作るまでは、自分のやってきた仕事自体に価値を見出すような気持ちはなかった。それはあくまで偶然とつぎはぎの産物にしか思えなかった。

ところが、このファイルで通覧すると、自分の職業人生に、ほとんど偶然によって「幸福な」つながりや一貫性が奇妙に成立していることに気づいたのだ。

僕が学生時代に最も大きな影響を受けたのは、地元の公民館活動と障害者の自立生活運動だった。前者は、後に通算7年間、社会教育施設で勤務することにつながったし、後者は、通算6年間、差別に関連する仕事をすることにつながった。

給料がいいからといういい加減な理由で最初に就職した保険会社での3年間の経験も、後年、公的な社会保険の仕事に1年間関わることで、多少モトを取れた気がする。保険会社のあと偶然勤めた塾講師の3年間の仕事は、20代の僕の青春の思い出といっていい楽しい記憶だ。ここでの経験は、以後長く教育行政の仕事を続けていく上でまちがいなく養分となった。

昔、経済学をかじった時、景気循環には短期の波から長期の波まであり、一番長いコンドラチェフの波は50年周期の景気循環(技術革新が要因らしい)であると習って驚いた記憶がある。人間の関わる事象にそんな長期の法則が成り立つものか、と。

しかし、人の職業人生においても、何かがつながり、何かがプラスに循環するには、ある程度長く生きて、長く働き続ける必要があるのかもしれない。