大井川通信

大井川あたりの事ども

10年日記の効用(その3)

こうして自分の50代の日々を通覧できる資料が手に入った。「仕事大全」のファイルも同じだけれども、そのずっしりとした重みを味わって、何度もぺらぺらとめくったりして、一冊へと物質化された時間を素手の感覚で扱うことが重要だ。僕たちがこうした作業抜きに、日常的な時間を超えた長期のパースペクティブを我が物とすることは難しいだろう。

ただ、充実した50代の時間を具体的に手にすると、それ以前の資料の不在が気になってしまう。区切りがいいだけに、これと同じものが5冊あれば、自分の人生が網羅できたはずなのに、ということが気になるだ。これはこれで、自分の人生の全体のボリュームを想像する手がかりにはなるのだが。

そんなことを考えているうちに、この10年の日記の余白の頁に手を加えることで、それ以前の半世紀の人生についても具体的に想像を届かすための工夫ができることに気が付いた。

日記には、12月31日の頁の次に「一年を振り返って」という表題の一頁がある。一頁が10分割された小さな記入欄だから、僕は毎年ここに自分にかかわる「五大ニュース」を書くようにした。すると、この頁が10年を振り返る一番コンパクトで便利な資料となった。実際の日記の記述を読み返すことはほぼ不可能だから、10年の振り返りはこの頁だよりとなっている。

であれば、この頁のあとに続く自由記入欄に、同じような書式で40代以下それぞれの10年分の重大ニュースの頁を作れば、その5頁の追加で、自分の人生の全体を通覧できる資料となるはずだ。

日記はなくとも、手帳やノートや手紙など断片的な資料をひっくり返せば、複数の重大事件を書き出すことくらいはできるだろう。3年前に母親が亡くなって実家も手放すようになったとき、実家との交流の形見と思って、30代と40代の二十年の記録をまとめておいた実績があるので、そこから転記すればいい。20代までの記録は未整理だが、若いころの方が資料も多く記憶も確かだと思う。

こんな面倒な振り返りをしておくのも、「老前整理」の一部となるにちがいない。