大井川通信

大井川あたりの事ども

老前整理で持ち物を考える

今回、ここ何十年で記憶にないくらい徹底的な持ち物の整理をしている。きっかけは、コロナで死に直面した体験だけれども、それ以降、整理の手がとまらなくなったのは、別の原因が大きい気がする。

それはおそらく、僕が新しい仕事や生活を始めようと考え、それに向けて一から計画を立て始めていることと連動しているのだ。具体的に生活や生き方を変えるということは、頭の中で考えているだけではどうにもならない。自分の持ち物を手に取り、手を加え、取捨選択し、配置し直すという作業が、どうやら不可欠みたいなのだ。

「持ち物」というモノは、ふだん当たり前のようにそこにあって、空気のようなものだから、その意味をあらためて考えることもない。けれど、本質的には、その人にとっての「道具」であり、人間が「道具」を使う動物と定義されるように、それは持ち主を深いところで支える、無くてはならない契機なのだろう。

新しい生活を考えるためにも、持ち物はそのための「道具」となる。必要な情報を、僕は自分の持ち物の書類の中から探し出し、今後の生活に不要と思われる書類を処分する。新しい生活の方向が決まれば、それが基準になって、すべての持ち物の優先順位が書き換えられる。

たとえば、蔵書であったら、新しい仕事のジャンルに関係する本が抜き出されて、それが目立つ場所に置かれることになるだろう。

ところで、今回の整理は、新しい仕事のための整理であると同時に、そもそも「老前整理」、つまり老いという生活を迎えるための整理だった。老いとは、自分の能力が衰え、自分がコントロールできる道具の数が減り、道具を扱える残り時間も少なくなるというプロセスだ。

だから、道具の優先順位を変えるだけでは足りない。道具自体の絶対数を減らし、本当に使える道具を、衰えた自分でも使いやすく身の回りに配置していくことが肝となるのだろう。

 

 

 

 

 

 

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