大井川通信

大井川あたりの事ども

退院一か月(クスリの効用)

退院して一か月。

この一か月は、めまぐるしく考え、振るまい、持ち物を片づけてきた。もともと考えることと書くことはセットであるという自覚があったので、つたない文章をこのブログに書きつけて来たのだが、深く進路を考えることの根底に、自分の持ち物との関係がある(身辺の整理整頓の必要がある)というのは、新たな気づきだった。

これは今までもそうだったけれども、話すことは書くことのきっかけだったり、書いたことを確かめなおす機会だったりする。このコロナ禍の経験と自分の思いも、おしゃべりな僕は、ずいぶんいろいろな人に話をした。

その内容は、このブログに今までまとめてきたことがベースだけれども、様々な相手の反応を見ながら、枝葉を刈り込んでいき、話としての「完成度」はずいぶん高まった気はする。また、相手の言葉によって、あらたな発見もあった。

コロナ感性の当事者の体験談は、多くの人がそれだけで興味をもって聞いてくれる。ただ、その渦中で、僕が自分が死ぬという運命を受け入れることができたこと、今後の生き方について新しい決断ができたこと、という二点は、手前みそ過ぎて、話としてあまり面白くない。やはり、最後には自分を落として「自虐気味」にオチをつけないと、僕も居心地が悪い。

入院時は、コロナ肺炎で血中の酸素濃度がかなり落ちていた。自分の思索と精神の力で死の運命を受け入れられたと錯覚したが、単に酸素が足りなくて頭がボーっとして現実に流されていただけだった、というのが一つ目のオチ。

入院中、自分の人生を振り返って決断し、退院後ただちにそのための活動を開始したのは、死と向き合った体験の深さとそこからの自分の決断の重さのためというふうに自分を美化していた。しかし、知人からステロイドには覚醒作用があると教えられて、それが不眠の原因だと了解できたが、当時はただ眠れないだけではなく、深夜猛烈に部屋の片づけをしていたのだ。つぎつぎと懸案を片付けていく充実ぶりは、今から振り返ると、とても病み上がりとは思えない。

ステロイドの錠剤は今でも飲んでいるが、段階的に量を減らしている。最近ようやくぐっすり眠れるようになり、少しぼんやりしたいつもの自分を取り戻すことで、この一か月の自分がやはり普通ではなかった、とあらためて実感できるようになった。

結局はクスリの力、薬中毒みたいなものだった、というのが二つ目のオチ。

二つとも、自虐ネタとして使っているが、おそらく実際はそんなところだろう。やはり他者と話して、自分を客観視することは大切だ。ただ、コロナに感染したのも、治療によって「覚醒」したのも、自分が望み、求めている方向への転機になったのだから、結果オーライでそれでよかったと思っている。