大井川通信

大井川あたりの事ども

保険とは愛を売ることだ

定年前後についてのマニュアル本で、日本人が無駄な保険に多く入っていること、とくに定年の時期になるとほとんどの保険が不要であることが指摘されていて、なるほどと思った。

ちょうど定年後の新生活に向けて、無駄な出費を削っているところで、最低限の保障を残して保険を解約しようと思っているところだったので、踏ん切りをつけるためにも有難い指摘だった。

僕は、かつて新入社員として生命保険会社に勤務したので、保険のカラクリというものは骨身にしみているところがある。さまざまな目くらましを使って、会社側の利益をもくろむという体質は、基本的に変わっていないのだろう。

しかし、仕事である以上保険を売らないといけないし、人間である以上そこに意義や正義を求めざるを得ない。フレッシュマン研修の時の教官(先輩社員)の一人は、京都大学ヘーゲル哲学を研究したという人だったが、保険とは愛をうることだと真顔を言っていた。

なるほど、無理に売りつけられた保険でも、身内に不幸があった場合の保険金で生活が救われ、心から感謝される場合もある。その可能性にのみ視野を限れば、たしかに「愛を売る」といえなくもないのだ。

僕がコロナで死んでいれば、退職金や遺族年金に加えて、高額の保険金によって、家族の生活は充分に保障されただろう。きっと家族もある程度の「愛」を感じてくれただろうが、幸か不幸か生き延びて、入院給付金というずいぶん小口の「愛」を受けるための手続きをしないといけなくなった。

かつて保険会社への請求漏れが社会問題になったりして、それなりに簡略化されたようだが、それでも家族3人分、全部で5件の手続きは煩雑で、どの手続きをどこまで進めていたのか分からなくなったりする。これでは「愛」をあきらめてしまう人だって多いだろう。

今回の請求が終われば、保険を解約する。棚ぼたの「愛」を期待する生活とは縁を切るのだ。