大井川通信

大井川あたりの事ども

宴会というもの

新型コロナウイルスの感染拡大で、昨年から職場関連の宴会の大部分が中止となっている。おそらく本年度いっぱい、この傾向は続くだろう。僕にとって定年前の二年間であり、本来であれば、宴会への出席が多かったはずで、むしろそれが重要な仕事みたいなポジションなのだ。

酒の苦手な僕には得意でない分野だけれど、今までもずっとやってきたことだから、覚悟して対応するつもりだった。しかし、こんなふうに無くなってみると、それはそれであり難い。

酒での付き合いがなくなると、深い人間関係が作れないという意見があって、それももっともなのだが、ノミュニケーションに頼っている人は、それ以外の日常の仕事におけるコミュニケーションに手を抜いているように思えてならない。

昼間は憮然として無駄に時間を使い、勤務外の時間でその埋め合わせをするのは、あきらかに非効率だろう。若い世代では、こうした習慣は崩れているだろうし、コロナ禍でのさまざまな「実験」は、さらにそこにくさびを打ち込むことになるだろう。

アメリカの社会人類学者ジョン・F・エンプリーの『須恵村』は、昭和10年頃の熊本県の農村の調査記録だが、当時の村の宴会の様子が、僕たちの時代の会社組織における宴会の在り方と瓜二つなのに驚いてしまう。

座敷では上座をめぐって儀礼的な譲り合いがある。主人が上座の客から盃のやり取りをしながら座敷を一巡し、他の客も順番にそれに倣うために多くの人たちが入り乱れる。参加者は歌や踊りの出し物で芸を競う。十分酒を飲んだ後にご飯を食べるが、それで宴会が終わりの合図だ。帰りには少人数に別れ、一軒か二軒の家に立ち寄り、二次会を行う。

会社組織というと都会的で近代的なイメージがあるが、人間関係の内実ではムラ社会をそのまま引きずっていたのだ。これをそのままで次の世代に受け渡すというのはさすがに無理があるだろう。

ところで、この宴会ということ一つとっても、ムラという経験は我々の深層に根付いている。大井川歩きを通して身近なムラを理解するという試みは、僕たちの自己理解にも役立つものになると思う。