大井川通信

大井川あたりの事ども

読書会の風景

コロナ肺炎のゴタゴタで3か月間休んでいた読書会に、久しぶりに参加する。こういう時は、オンライン開催での敷居の低さはありがたい。ただ間が空いたためか自分の発言は要領を得なくて、冗談も滑りがちだった。

一年以上ぶりに顔を合わせる年配のメンバーがいて、ネットの気安さからか、彼から意外な言葉を聞くことができた。彼は、どうしてこんな読みができるのだろうと驚かされたメンバーに対して、なんとか次は自分から驚かしてやろうと思って読みを作ってくるということだった。

僕は以前から、彼の読書会での発言が的確で、事前提出のレポートが明晰であることが気になっていた。特に他者の発言に対して「驚き」を口にできることに敬意をもっていたが、その背景にそこまでの思いがあるとは気づかなかった。

読書会の中で、「驚く」という経験があり、それが「驚かせたい」という思いにつながる。この「驚く」と「驚かせる」の循環は、経験上、こうした読書会や勉強会の内容が継続して良くなるためのエンジンのようなものだと思う。(僕の場合は、それに「笑う」「笑わせる」の循環も付け加わる)

ただ、ある程度同じメンバーでやっていると、互いの手の内はわかってくるので、「驚く」ことも「驚かせる」ことも難しくなってくる。その困難さを潜り抜けて、毎回少しでも新しい読みでお互いを驚かそうと競い合うような関係こそが、大切なのだと思う。

もちろん、基本的に楽しみのための会だから、そんな息が詰まるような攻防のみで成り立っているわけではない。でも、自分の言いたいことを言いあって、それを温かく受け入れあうという「居心地の良さ」ばかりだと、参加し続ける動機が薄くなるだろう。

おそらく、参加し続けているメンバーは、口には出さずとも、同じような思いを持っているのではないか。それが、この読書会を特別に良いものにしているのではないか。彼の発言から、そんなことを考えた。