大井川通信

大井川あたりの事ども

オニグモの巣

僕が子どもの頃の小学館の昆虫の図鑑は、虫の姿は絵で描かれていた。カラー写真を使うのが高価だった時代だったのだ。しかし写真だと、その一枚の写真うつりで印象ががらりと変わる。絵の方がその種類の標準的な特徴をもりこめるというメリットがあるだろう。

ところで、当時の昆虫少年にとって、唯一の情報源である図鑑の挿絵の描きぶりで、その昆虫の好き嫌いが決まってしまうところがある。クモの中でも、オニグモが実に立派に、しかし妙に平面的に描かれていて強い印象を受けた。ただ実物を見る機会はなかったと思う。

夕方、大井の田んぼを見に行こうとして街道を歩いているとき、空中に大きなクモが浮かんでいるのを見つけた。オニグモだ。街道と田んぼの間のフェンスに巣を張っているのは見たことがあるが、今度は、車道と歩道の間の何もない空間で、足元には少しの段差と雑草がまばらに生えているばかりの場所だ。

不思議に思ってよく見ると、頭上4メートルばかりにある電線から糸が何本か伸び、足元の雑草につながっている。さすがオニグモ、なんという大胆不敵な空間の占有だ。まだ巣をつくり始めたばかりだから、糸も少なくて目立たず、まるで目の前に黒く大きなクモが浮かんでいるように見えたのだ。

ちょうどクモは、中心部から放射線状に広がる糸を張り始めてところだ。武骨な姿にこんな繊細作業はちょっと似合わない。車道に車が走ると風であおられるし、無防備な場所だから、歩行者に気づかれたら、簡単に巣を壊されてしまうだろう。

田んぼをしばらく見てから戻ると、今度は同心円状に丸く糸を張っているところだった。思わずがんばれと応援したくなる。家に帰って当時の図鑑を開くと、一言「夕方にすをはる」という解説が。なるほど。

大型のクモたちも、その生活の場所ははっきりと分かれるから面白い。アシダカグモは古い建物の中の床や壁。ジョロウグモは林の中。コガネグモは、水田脇の水路の上だ。殺伐とした街道に巣をはるのは、オニグモくらいだろう。