大井川通信

大井川あたりの事ども

思想家を読む

学生時代に、哲学・思想書をかじってから、社会人として生活していく中で、細く、長く、乏しく、その読書を続けてきた。読書量自体はたいしたことはないから、むしろ時々立ちどまって、哲学・思想書が扱うような問題にあれこれ思いをめぐらしてきた、というくらいのところだろう。

コロナ感染症のために、突然人生に幕が下ろされかかって、こうした「思いめぐらし」も他の全ての営みと同様に中断する運命かと思われたけれど、おかげさまでしばしの猶予をもらうことができた。

それで定年という区切りをきっかけに、様々な営みに自覚的に区切りをつけようと思って、あれこれじたばたしている。哲学・思想についてもどうにかしたいと思って、手付かずだった恩師の大著を読了したりもしたのだが、自分からはなかなか打つ手がないところに、外から思わぬ援軍が入った。

僕は外国の思想家にはあまり縁がないのだが、一人だけ気になって時々拾い読みしてきた人物がある。今となってはもう昔の人だけれども人気思想家で、数年前にも岩波新書で入門書が出版された。

その入門書を書いた専門家(その思想家についての学術書を何冊か書いているから、研究の一人者といっていいだろう)が、僕の関わってきた読書会に参加してくれるようになって、ミーハー気質を発揮してさっそく著書にサインをいただいたりした。

それがひょんなことから、彼の書いたその思想家の入門書を、読書会で年明けにレポートすることになったのだ。一級の研究者である彼の前で、その思想家を語るということなどおこがましいし、恐ろしくて自分から手をあげることなどなかっただろう。

ただ他のメンバーからやんわり持ち掛けられたとき、この機会を、自分の営みに区切りをつけるという作業に利用してもいい、というか、そのために神が作ってくれた千載一遇のチャンスではないか、と思えて引き受けたのだ。

そういうわけで、今からせっせとその思想家の本をよみながら、哲学・思想をどのように自分の糧として生きてきて、それがどんなふうに形をとってきたのかをまとめようと思っている。

介護の研修を受けたり、薬の勉強をしたり、今の仕事のまとめになる読書をしたりしながら、来年度以降の暮らしを計画する気ぜわしい時期だけれども、これだけはしっかり仕上げたいと思っている。