大井川通信

大井川あたりの事ども

『みどりの船』 クエンティン・ブレイク 1998

いつものブックカフェで偶然手に取った絵本。あまり良かったので、次に立ち寄ったときには買ってしまった。

美点はいくつもある。大判で水彩の絵がとてもいい。森の緑の描写。主人公である船は、見開きをたっぷり使って堂々と描かれる。一見船に見えるが、船室は切り株の上の小屋だし、二本のマストは高木、船体は刈り込んだ植木で作っている。その森の中での出現シーン。次には深夜の嵐の場面。最後は、手入れをされずに自然に帰っていく緑の船。

子どもと大人の関係性がクールだ。子どもにとって大人は未知の存在で、大人の権威の一線を守りながら、親しく付き合っていく。森の船を管理するトリディーガさんは、本気でそれを船と思い込んでいるようだし、不在の船長がまるでいるかのように振るまっている。ふつうにはこれは狂気を感じさせるものだ。

しかし、子どもたちは、そんなことにおかまいなしに、そのゲームにのる。夏休みでおばさんの家で過ごす毎日を、船で遊ぶことに費やし、それを毎年繰り返す。

やがて、水夫長である庭師は歳を取って船の手入れができなくなり、植木は伸び放題となり、船は自然にかえっていく。やがて僕たちのほかには、それが船だったことを知る人はなくなるだろう、という台詞で絵本は終わる。

おそらくトリディーガさんは、本物の船長だった旦那さんを亡くして、精神的に病んでしまったのだろう。彼女に仕える庭師が模造の船をつくり、彼女の物語に付き合ってあげていたのだろう。しかし、そんな種明かしはいっさいない。

世界は謎のような事象に充ちていて、だからこそ魅力的だし、多くの人はそれをたんに受け入れて日常を繰り返す。ただ歳月とともに、こだわりを秘めた暮らしの残骸は廃墟となり、知る人もなく消えていく。しかしそれを決して忘れようとしない子どもたちがいる。

今、ベンヤミンを読んでいるからだろうか。ベンヤミン的な感受性の結晶のような物語に思える。やわらかで透明な絵で描かれるストーリーに静かに心を揺さぶられる。