大井川通信

大井川あたりの事ども

寮の先生の話

僕らの世界には、気が遠くなるほどの数の人が暮らしている。一方、僕らのふだんの暮らしは、ごく少数の人達とだけ繰り返しあうことで成り立っている。しかし、「意外な出会いやつながり」というのが実はごく当たり前で、知り合いの知り合いをたどれば、驚くほどたやすく全人類を網羅してしまうのはなぜなのか。

東浩紀の評論の中で、その答えが数学的な証明とともに説明されていた。ごく少ない機会でいいけれども、ふだんの暮らしの外に飛び出すランダムな経験が交じってさえいれば、結果的にそうなるということだったと思う。

これは僕の実感にも合っているのだが、今回またこんな出来事があった。

僕が介護職員の初任者研修を受ける教室には、10人の老若男女(善男善女でもいいけど)がいるのだが、その内最年少は19歳のN君だ。彼は、高校時代レスリングの国体選手だったが、卒業後は親の世話になりたくないと、障害者施設で働いで大学進学の学費を貯金している。数年ののち教育大学に進学して特別支援学校の先生になるのが夢だそうだ。お父さんも、特別支援学校の寮で働いているという。

それは研修の初めの頃に聞いていたのだけれども、彼の名字が、僕の知っている特別支援学校の寮の先生の名字と同じだと気づくまでには、しばらく時間がかかった。

研修期間が終わりに近づいた頃、ふと、次男がお世話になった先生の息子さんではないかとひらめいて、確認したらなんとそのとおりだった。

次男が「あの先生に怒られなければ今の自分はなかった」とつぶやくほど慕っていた先生で、次男が規則違反のスマホを持ち込んだときには、僕も呼び出されて面談を受けたこともある。できたら、先生の転勤先に次男と二人でご挨拶に行きたいと考えていたくらいだった。

同じ県に住んでいるといっても、聞いてみると住居は50キロ以上離れている。県内には500万人の人が住んでいるから、やはり感覚的には驚くような偶然である。しかし、この偶然も、お互いの通常の進路とは逸れた、ちょっと変わった決断があったからこそ起こったことだ。

彼がふつうに大学に進学したり、僕が同じ業種での普通の再就職を考えていたら、起こりえないことだった。お互い、一か月間土日を終日つぶし、安くはない受講料を払って勉強しようなどと思わない限りは出会うことはなかったことになる。