大井川通信

大井川あたりの事ども

『林達夫評論集』 岩波文庫 1982

久しぶりの再読。以前、林達夫(1896-1984)が気になって、何冊かまとめて読んだ時期があった。やはり、どの文章もそれなりに面白い。ただ、圧倒的にすごいという切れ味までは感じられない。もちろん、時代の文脈の違いと、そもそもこちらの教養や興味関心が限定されているという問題があるので、著者の本領が受け取れていないおそれがある。

「野生の思考」「レトリック」「フォークロア」「ポリフォニー」「ドラマトゥルギー」というキーワードを用いての編者の解説はわかりやすい。なるほど、そういうふうに読めるのか、という感じ。

ただ、どうしても学問という世界の中で、頑固に知識人という役割を演じながら、良識の範囲を語っているのではないか、という印象をぬぐえない。

この評論集の中では、戦前に書かれた「批評家棄権」というアフォリズムが、学問のかみしもを脱いだ自由な言葉と思考の運動を感じさせて、出色だ。

「原初的なものこそ大切である。笑い、涙、息詰まり、ほっとした思い、戦慄、恍惚、虫ずばしり、吐気・・・だのに、私は批評家ほどそれらに対して不感症を装う動物を知らない」

「一方的な強烈な照明は、批評家の強さの証拠ではなくして、批評家に憑いている一つの観念の強さの証拠にすぎない場合が多い」

「歯車の中へ投げ込まれた一坪の砂は、巨大な輪転機の機構全体を狂わす。批評家の脳裏にこびりついた小さな怨恨は、彼の批評の全体を傾斜させる」

「無代償で賞賛する無欲てい淡な批評家というものがいるだろうか。いちばん性根の美しい者でも、彼は自分の公平と自分の眼識とを作者や読者に示して彼らから認められんことを予期して賞賛するのである」

ここには犀利な観察に基づく正確な批評がある。しかし、この細部における真理は、あくまで細部にとどまっている感じがするのだ。