大井川通信

大井川あたりの事ども

「機関車を見ながら」-芥川小論

侏儒の言葉』が残念だったので、全集を引っ張り出して、晩年の短文にいくつか目を通してみた。経験上、芥川に関しては、こんな場合に満足のいく発見は期待できない。しかし、今回は、はっと目をひく文章を見つけた。

昭和2年自死のあと発表された遺稿のようだが、おそらく全集以外では読めない文章だろう。僕も初見で、わずか4頁ばかりだが、内容はとてもいい。

芥川は鉄道の見える土手で、子どもたちを遊ばせている。機関車が通ると、子どもたちはさかんにそのまねをする。しかし、機関車の魅力にひかれるのは、大人も同じだ、と芥川は考える。

人間は、名誉やら金銭やら威勢やらの欲望に突き動かされて突進する機関車だ。それは自由な欲望によるものだが、軌道から逸れることのできない不自由さという矛盾を抱えている。

軌道だけでなく、欲望をたきつける燃料も外から与えられたものだし、機関車のあらゆる部品も過去の歴史の産物である。我々は、軌道が終わるか転覆するかまで突進し続けるしかない機関車だ。火花や煙や轟音だけが、各人の「仕事」として後に残るだろう。

自死に近い時期に書かれた文章なのだろうが、いたずらに悲観的でもシニカルでもなく、ほのかなユーモアにくるんで、人間(近代人)についての透徹した認識を示している。