大井川通信

大井川あたりの事ども

試験にこだわる理由

実をいうと、退職をきっかけに転職する計画の予定が変更になってしまった。コロナ肺炎回復後の高揚した思いから、相手方に強引にお願いしていた無理が判明してしまったことと、研修などを通じて介護業界で職を得ていく厳しさを知ったことによる。

しかし、介護初任者初級研修で得た経験は、何にも代えがたいものだった。自分という身体そのものや老いや病を支える仕組みに対する無関心と無知からの方向転換をしたいという思いは変わらない。そのためには、転職と共に計画した介護の研修とともに、医薬品に関する登録販売者の資格は意地でもとっておきたい。この半年の試行錯誤の経験を、なんとか形にしておきたいのだ。

それともう一つ。これからどんな仕事をするにしても、自分の余力がどのくらい残っているかを計測したいという理由がある。試験勉強なら自分なりにノウハウがあるけれども、それは若いころの自分を尺度にして作ったものだ。

これくらいのボリュームの試験なら、どんなテキストを選んで、それをどのくらい回して、理解や暗記のためにどんな補助手段を使い、どのような学習計画を立てるか。30年ぶりの試験勉強である以上、多少自分の衰えを考慮しているとはいえ、20代の自分の経験に基づいた感覚がベースになっているはずだ。

運動会の保護者競技では、必ず転ぶ親が続出する。ひさしぶりに走ったときに、かつて問題なく走ることができた感覚に、今の自分の身体がついていけないためだろう。この程度の試験ならこなせるという感覚に、還暦を迎える自分の頭脳や気力がまったく応えられないというのは十分にありうることだ。

どうしても暗記中心の試験になるが、自分のある種の記憶力の衰えは目を覆うばかりだ。それだけでも、合格は簡単ではないという予感がある。衰えは衰えでどうしようもないし、受け入れるしかない。しかし、その衰えを受け入れて上手にそれと付き合っていくためには、自分の能力がいまどのくらいあるか、自分なりに計測する必要があるのだ。