大井川通信

大井川あたりの事ども

高良留美子の詩

今年も多くの著名の人が亡くなった。記事にしたいと思いながら、書けなかった人も多い。つい先日、新聞で詩人の高良留美子(1932-2021)の訃報に接した。高良留美子は、大学時代、詩をよく読んでいたときに愛読していた詩人の一人だ。現代詩文庫の解説で岡庭昇が評価していたことに影響されたのかもしれない。

かつての詩人らしく詩論集なども書いていて古書店の書棚でよく見かけた。息長く活動した詩人だが、後年その仕事に触れることはなかった。

ただ彼女が実際に亡くなったのが12月12日で僕の誕生日であったのが、何かの縁のように思えて詩集を手に取ってみた。

数年前、詩論を読書会でレポートしたとき、独自に調査してみて、すぐれた詩集でも自分にピンとくる詩は3割くらいしかない、ということに気づいた。残り七割の不可解なコトバの堆積を潜り抜ける労力が、詩から人を遠ざける。これがその時の結論だった。

その後、詩歌の読書会にめぐりあって、強制的に詩歌を読む場所に恵まれているが、そういう枷がなければ、詩を読み通すことがいかに困難かを、今回再度味わうことになった。

ところどころ、印象に残っている詩句や語法、短い詩などはあるが、長い詩や散文詩など多くはピンとくるものがない。60歳を過ぎて自分の重点をいくつかの分野にしぼりこみたいと思って絵本や童話に取り組んでいるが、それなりに読んできた詩歌については、自分にはちょっと無理ではないかと弱気になってしまうような読書体験になった。

気を取り直して、一篇、引用する。適度にエッジが効いて飛躍をはらんだ詩句の連なりが心地よい。具体と抽象との配合具合も。

 

宇宙はいま 秋だ。/死のうとした少女が/家からの独立とひきかえに 立ち直り/海のむこうから来たひとが/きみ自身より明確にきみの孤立をかたる。/黄ばみかけた木蓮の下葉が陽を透かし/走ってくるバスの灯から/ふいに「永遠」が姿をあらわす/世界が急速に小さくなり/遠い砂漠のくにに住む人びとが/真近かに感じられるのも/そうした秋の一日のことだ。/きみはふと 尻尾の方からすき透ってくるのを感じて/急いで椅子から立ち上がるだろう/そのとき きみの短い休暇は終わり/きみはすでに 新しい行為のなかにはいっているのだ。  (「秋」)