大井川通信

大井川あたりの事ども

手作り絵本「かさぼとけさま」あとがき

駅に近い田んぼの一角に、石材を無造作に寄せてコンクリートで固めた場所があって、以前から気になっていました。よくみると、六面に地蔵のようなものが彫られた石の塔身が二つあって、かたわらには大きな丸い石がたてかけてあります。いわゆる六角地蔵といわれるものですが、かなり古くて傷んでおり、地蔵の姿もうっすら残っているだけです。

あとから、ここの古い小字名が「笠仏」であることを知ったとき、この石仏がその由来ではないかと思い付きましたが、それではあまりにあっけないし、仏様の扱いも無残です。

その後,八並川沿いを散歩しているとき、犬を連れた年配のご婦人に声をかけたら、なんとあの石のある田んぼの持ち主で、それにまつわる話を教えてくださいました。

昔この場所に雷が落ちて、雨宿りをしていた人と馬が亡くなった。その供養でまつられた仏様だそうです。雨ごいのお祭りのときだけ、この仏様に石の笠をかぶせていたが、ふだんは今と同じように笠をおろしていたとのこと。昭和8年生まれの彼女が二十歳の頃にお嫁に来た時には、もうおこもり(お祭り)をすることはなかったが、お酒は供えていたそうです。

10年ほど前に、田んぼの前の道を拡張したとき、離れて二つあった笠仏様を今のように寄せて、みんなでその時最後のおこもりをした。笠の石は子どもがいたずらして危なかったので、コンクリートで固定したそうです。

一見乱暴に寄せ集めただけのように見えますが、地元の人たちはそれなりに礼を尽くしていたことがわかりました。ただし、庚申塔のように見える自然石いくつかと一緒に固められた様子からは、神仏への敬意が感じとることは難しい。そのために今では、清掃やお供えをする人も絶えているのでしょう。神様仏様だって、恨み言の一つもいいたくなるのではないでしょうか。

お話しの最後の場面が、そこまでの童話風の絵とギャップのある恐い絵になってしまったのは、そんな実際の様子を写したためでもあるのです。

なお、市史にも、笠仏の儀式のことが一行だけ触れられています。大きな水源がなく、ため池の多い地域ですから、市内各地に雨ごいの風習があったとも書かれています。