読書会での報告が無事終わった。9月の終わりにこの話をもらった時には、ちょうど人生の区切りの時期だから、読書や思索の面での総まとめとなるようなことができたらと思っていたが、準備もはかどらず、とてもそんなふうにはならなかった。それでも、会のメンバーとしての役割を果たしたうえで、自分なりの成果を残すことはできたと思う。
以前僕は冗談で「読書会芸人」を自称していたことがあったが、読書会という場所をいかに演出するかという点では「集大成」ともいえる会になった。参加者各人に著者になり切って何かしてもらうという課題を出した結果、メンバーが詩や思想劇の朗読を披露したり、自作の絵や若い時読んだ本を見せたり、ダンスを実演したりしてくれたのだ。
ベテランのメンバー(主宰は学生運動世代)が多い会だから、しゃべりたい人が自由にしゃべるというスタンスで、議論やコミュニケーションの場としては旧態依然としたところがある。僕は、ここ何年か、参加者の満足度を高める運営に自覚的な若い人の読書会に参加していろいろなことを学んだのだが、そのノウハウを多少アレンジして使うことができたと思う。
ベンヤミンの研究者である柿木さんとお話しすることで、自分が思想やコトバの問題について、ずいぶん雑になっていることに気づかされた。普通の生活者として生きていることを言い訳にして、考えるべきこと努力すべきことを投げやりにしてきたのだ。
柿木さんは、ベンヤミンの核心は言語についての思想にあるという。著書の中でも言語についての考察をていねいに紹介しているし、会の中でも静かに熱く語ってくれた。
ただ、今回の僕の報告でいえば、僕自身がベンヤミンの思想を議論することよりも、参加者各人にいかに良いボールを投げるかという振る舞いの方が、結果的に場に対する批評的な力を持ったのはまちがいない。ベンヤミンが言語や歴史について何を考えたかということ以上に、その考えを通じて彼がどう振舞ったのか、ということに大きな魅力と刺激があると僕は考えている。