大井川通信

大井川あたりの事ども

『わが住む村』 山川菊栄 1943

とても良い本だった。漠然と、女性社会主義者として高名な山川菊栄(1890-1980)によるものだから、もう少し堅苦しく図式的教条的な内容なのかと予想していたが、地に足のついた視点で、血の通った平明な文章で書かれていることに感心した。

それは、1936年に東京から農村に越してきて、7年間この地での労働と生活に溶け込んだ著者の身体をはった定点観測の賜物だろう。

山川の暮らした村は、交通の要地で、地図で見ると鎌倉にも近く、今では完全に都市化されてしまっているような場所だ。農村部とはいっても、幕末以降の日本の近代化の影響をいち早く受けてきた地域だというのも、山川の観察と記述に精彩を与えているところだろう。

一般のイメージとは違って、戦時中の時点で、戦後に問題とされるような農村の様々な変化(暮らしの変化、コミュニティの希薄化)が語られている。これは、都市部に近い村だけではなく、熊本県でのエンブリーの記録『須恵村』(1939)でも同様なことが描かれているから、全国的な現象だったのだろう。日露戦争とシナ事変の勃発とが、近代化の大きな波のメルクマールになっていることが記述からうかがわれる。

いつかこの本で描かれている土地に行ってみたいと思わせるような本だ。村人の大変な努力で7年をかけて丘陵にトンネルを掘り、農地への行き来を楽にしたという感動的なエピソードが描かれているが、その「小塚洞」をネットで検索すると、戦後すぐの住宅街の開発で、丘陵ごと撤去されてしまったという。工事を主導した人たちは、100年、200年と村人の生活に役に立つと信じていただろうから、どんな気持ちでその撤去を見届けたのだろうか。しかし、その大規模開発も村には少なくない利益をもたらしたのかもしれない。

ザリガニ(アメリカ海老)がウシガエルのエサとして導入してからはびこった経緯など、細部の記述に面白みがある。読み返したいし、著者の他の本にもあたってみたい。