大井川通信

大井川あたりの事ども

めまいと全健忘(眩暈その5)

僕には、めまいの他に、その翌年くらいに起きた一過性全健忘の発作がある。こちらは大きい発作が二度と、軽い発作が数回くらい起きている。めまいより回数は少ないが、起きた時の深刻度ははるかに大きい。

おおざっぱにいって人間の記憶は、短期記憶とそれより長い記憶、さらにもっと長期の記憶に別れていて、記憶の内容が取捨選択されながら、順番に受け渡されていくもののようだ。一過性全健忘は、外傷とかの理由なく、受け渡しが一時的にストップしてしまうためにおこる。数時間程度なのだが、その期間は数分だけ続く短期記憶だけの人になってしまうので、その間のことは全く覚えていない。発作中は、ちょうど認知症の患者が、数分おきに同じ話をくりかえすのと同じように、「今、目が覚めた」「今寝てたでしょ」という同じ質問をし続けるらしい。

最初の発作の時は、脳外科医で適切な診断をしてもらえずに、血糖値が落ちていたのかもとお茶を濁された。記憶の専門書まで読んで、この病名にたどり着いた。必ずしも稀な症状ではないのだが、発作の時間が短く、外傷もないため近年まで診断名がなかったのだそうだ。たいていは一生に一度、まれに数度の場合もあると書いてあったので安心したが、僕の場合、もう二度も本格的な発作がでてしまった。

全健忘の場合も、軽い発作の時は、なんとなく兆候を感じることができる。(重い発作の場合には、そうした兆候の記憶すら失われてしまうのだ)これはめまいの兆候とは自分のなかで区別がつくもので取り違えることはない。これがなぜなのかがちょっと気になるので、考えてみたい。

めまいは、自分が生きている空間が不安定化する発作だ。足元が沈み込んでまっすぐに歩けなくなったり、周囲が高速で回転しだしたりする。自分の身体にとっての空間が崩壊するような経験だ。これは正直気持ち悪い。

一方、全健忘は、自分が生きている世界の時間的な文脈が失われる発作だ。目の前の空間の配置と秩序は了解できる。ここは職場だ。しかし、なぜ今自分がここにいるのか、これから何をしたらいいのか、ということがわからない。自分の身体にとっての時間的パースペクティブが崩壊する経験。こちらは生理的気持ち悪さではなく、悪夢の世界に投げ込まれたみたいな怖さがある。

生理的な嫌悪と悪夢の恐怖。この違いがあるから、両者の兆候を取り違えることがないのだろう。