大井川通信

大井川あたりの事ども

長男の誕生日

長男の誕生日だから、それを家族にふれまわって、お祝いの連絡をするように促す。僕もメールだけはする。

このところ、子育てや子どもの勉強について、簡単な相談を受けることがあって、長男の子育てを振り返りながらそれに答えた。

僕は人間が未熟だから、それが無意識にでてしまう家庭生活や子育てでは、ろくな夫や父親ではない自覚がある。子どもも大変だったろう。ただ、十年前いっしょに一年間大学受験の勉強をしたことは、大きな転機になった。

昨日も書いたように試験勉強は僕の唯一の得意分野で、考えてみればその力の維持には10年前の受験指導がおおいに影響しているだろう。当時は苦しかったけれど、果たせなかった塾教師として成果を出すという夢の一部を実践できたようで、自分で楽しんだ記憶もある。

結果が出て、長男から感謝されたし、その延長線上で大学時代の専攻の勉強の件でずいぶん議論などもした。それでも父親からの圧力で無意識に刻印された傷とストレスは簡単に癒えるはずもなく、ぎくしゃくとした親子関係は続いた。

長男のコロナ禍での転職と同居、猫が家族に加わったこと、家族のコロナ感染体験などをへて、10年かけて、ゆるやかに関係はいい方向に向かっている気がする。長男自身も、転職でやりがいのある業界に入り、仕事上の試練もなんとかこなしているようだ。親から見ても、同世代に立ち優ってみえる部分がある。

僕自身は、自分の親としっかり対決することなく、最後まで本音で話すことができなかった。僕の未熟さはそこに由来するところが大きい気がする。年長の上司との関係をうまく作ることができなかったのだ。

長男は、気難しくてやっかいな父親との関係を維持しながら、対決し消化していくことで、僕にはないような成熟を手に入れたのではないか。そうであったらいいと思う。