大井川通信

大井川あたりの事ども

何よりもダメな男

学生の頃、評論家の菅孝行が好きで、彼の雑文集『何よりもダメな日本』を愛読していた。表題は、エンツェンスベルガーの『何よりもダメなドイツ』からとったものだったと思う。

管は、まっとうでまじめすぎるような左翼の批評家で、そのためかバブル以降の論壇ではしだいに居場所を失っていった。それも彼なりに時代へ筋を通した結果だろうと思う。ただ当時はあまり気にならなかった本の表題が、今ではちょっと気になる。

まるで親の仇のように国の政治や社会の仕組みについて叩く人がいる。自国向けが専門の人もいれば、他国に対する批判が専門の人もいる。多くの人が血道をあげているからには、きっとそれなりに夢中にさせるものがあるのだろうと思う。

僕はいつのまにかそんな姿勢をとることが難しくなっていることに気づいた。むしろそんな態度に嫌悪や反感を強くもつようになった。

どんなものにも多少はよい面と悪い面がある。この世に存在するものは、それなりの存在理由があるわけで、その観点からは、基本的にあっていいもの、あるべきもの、つまりはよいものであるはずだ。しかし、いったん存在してしまったら、それが都合が悪いと感じる人たちもでてくるだろう。

だから、何よりもダメな国や事物など本当は存在しえない。しかし、それが人間、それも「自分」ならどうか。自分というのは、並ぶもののない特別な存在だ。他者と表面的に比較することはできるが、自分を都合よく他人を取り換えることはできない。自分に対しては、天上天下唯我独尊と誇ってもいいし、何よりもダメだと深く納得していい。

僕はもちろん後者だ。歳とともに自分のおろかさ、まぬけさ、どうしようもなさが身に染みるようになった。自虐的な感傷ではなく、冷厳で空虚な事実の認識として。