大井川通信

大井川あたりの事ども

当事者運動黎明期の一風景

『当事者主権』を読みながら気になったことがある。どんなささやかな体験でも歴史の断片に触れていないことはないだろう。今回、僕自身のかかわりを、昔の手帳とノートを取り出して調べてみたので、また記憶が雲散霧消する前にメモしておこう。

大学3年の終わりごろ(1983年)に、自立生活「障害者」の所に介助に入るようになった。4年になると、無理して参加したいくつかのゼミの勉強と就職活動との両立が難しくなったため、かかわった期間は半年にも満たなかったかもしれない。

三井絹子さんのパンフを読んだことがきっかけの一つで、活動の中で彼女の姿を何度か見ることもあったと思う。国立(くにたち)の活動の拠点だった「かたつむりの家」らしき場所に顔を出した記憶もある。

まず、矢川に住むタカハシさんの家に行くようになった。タカハシさんは、健常者のフジタさん(カイロプラクティックの整体師の仕事をしていた)とたしか同居していた。タカハシさんは明るい人で、沢田研二のファンだった。彼の所にはいろんな仲間がつどっていて、福井達雨の本のことが話題になったことを覚えている。三人で近所の滝乃川学園のお風呂を借りて入っていた。手帳をみると、週に二晩くらい行っていたときもあったようだ。

次に、タカハシさんと並行して、国分寺の恋ヶ窪にあるマツモトヒロシさんのお風呂介助に入るようになった。マツモトさんも、健常者の夫婦と同居していて家には赤ちゃんがいたと思う。マツモトさんは寡黙で落ち着いた人だった。

就職活動が忙しくなったときに、介助をやめることを話した記憶がある。10月で就職の見込みが立った後に、活動が復活したかどうかは思い出せない。

 

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