大井川通信

大井川あたりの事ども

コロナ禍の風景(観光地編)

コロナ禍も3年目に入って、やや終息の兆しを見せている。ちょうど一年前に、家族3人で感染して、僕自身重症一歩手前までいっているからその恐さはよく知っているけれども、なんとなく人間とその社会がウイルスとの共生のプロセスに入ったような気もする。外国人旅行者の受け入れの再開も検討されていると聞いた。

元に戻るとなると、今の非常事態の風景が名残惜しくもある。観光地で有名な某神社に立ち寄ると、夕方とはいえ、かつては溢れかえったアジア人観光客の人並みはなくて、閑散としている。クスの大樹が並ぶ境内にも、人っ子一人いない。照明だけが、太鼓橋や朱塗りの建物をあやしく照らしている。夢の中のような不思議な光景だ。

これではこの街の経済は回らないだろう。しかしコロナ禍は、資本主義下の経済を止めるという信じがたい離れ業を演じてみせた。ふだんなら僕が生涯出会わないような静謐な時間の隙間をのぞかせてくれたのだ。

僕個人でいえば、よいこともあった。定年前の二年間、本当なら仕事上の交際や飲み事が多いポジションにいたけれども、それらがすっかりキャンセルされたのだ。酒が飲めずに宴会が苦手な僕には、とても過ごしやすい時間だった。コロナ禍の先行き不透明な環境下で、そんな旧態依然の振舞いよりも、本来やるべき仕事が評価されるようになったのも、僕には居心地が良かった。

まあ、こんなことを言えるのも、命あっての物種、ということか。