大井川通信

大井川あたりの事ども

漱石の「地域通貨」

昔、少年向けの文学全集などに、漱石のエッセイ風の小品が入っていて、読んだ記憶がある。あと、旺文社文庫の長編の付録みたいな感じでの収録もあった。

だから、漱石の小品集の標題にはなじみがあったが、その一つである『永日小品』(1909)を読み通すのは初めてだ。想像よりずっとよかった。同じ文庫本に収録されてた有名な『夢十夜』とあわせて読んでも、読後感で負けていない。

まず、文体と書きぶり、その内容の多彩さだ。25個の小品のうち、約三分の一が、実話を題材にしたような身辺雑記。次の三分の一が、掌編と呼べるような短い創作。最後の三分の一が、イギリスの留学時代を中心とした回想もの。これらが順不同に登場するのだから、あきさせない。『吾輩が猫である』を読んでから、僕の中で漱石ブームが続いているのだが、やはり漱石はすごいと今さらながら思う。

たとえば、「金」と題した創作もので、漱石は登場人物にこう語らせる。「金は魔物だね」「これが何にでも変化する。衣服にもなれば、食物にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」「・・・あまり融通が利き過ぎるよ。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限を付けるようになるのは分かり切っているんだがな」「・・・赤い金は赤い区域内だけで適用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦の破片同様まるで幅が利かないようにして、融通の制限を付けるのさ」

今で言えば、これは「地域通貨」に通じるような発想だ。時代や社会の本質を見通す漱石の視力に感嘆する。