大井川通信

大井川あたりの事ども

ナンシー没後20年

ナンシー関が亡くなって、20年。それが6月なのは覚えていたが、日付まで意識したことはなかった。これからは彼女の忌日は大切にしたいと思う。

ナンシー関(1962-2002)は、僕が一番同世代を感じた好きな書き手だった。年齢は一つ違いで、ほぼ同じ時代の風景を見てきた人だった。ナンシーが「晩年」にだいたいこんなことを言っていたのが印象に残っている。

少し前までは、自分が見たり聞いたり考えたりしていることを、世の中に発信することに何のためらいもなかった。つまり、自分や自分の世代が、世の中の中心であることに疑いをもっていなかった。それが、少しづつずれてきたのを感じる。

これは、どういうことか。おそらくナンシーのこの発言は、30代の半ばをすぎてのものだったと思う。20代のうちは、既存の社会の仕組みや大人たちの価値観に対して、自分たちの感覚で違和をぶつけていくのが正義だった。実際、世の中も若者が望む方向に改変されていく。ところが30代後半になると、むしろ自分たちが旧社会の一部となって、新しい感覚をもった世代から突き上げられる側に回るようになる。敏感な彼女は、そんなことを感じ取っていたにちがいない。

そしてナンシー関は、ワールドカップ日韓共催をテレビが騒ぎ立てる中、40歳になる直前に命を落とした。それから20年。ネットの時代が始まり、僕もあれだけ好きだった、彼女の主戦場であるテレビをまったく見なくなった。

還暦をすぎると、自分の言葉の根拠を無反省に「世代」(自分の体験や感性)に置いていたのでは、社会の端っこからの戯言に過ぎなくなる。なかなか苦しい立ち位置だ。ナンシーの早すぎる死は不幸だとしか思えなかったが、全盛期のままテレビの時代をかけぬけたのは、今振り返ると彼女の類まれな才能の一部だったような気もする。