大井川通信

大井川あたりの事ども

『仮面の告白』 三島由紀夫 1949

三島の自選短編集を読書会の課題図書で読んだのだが、どこにもひっかかるところがなく、付せんも貼れなかった。小説でもこんなことは珍しい。これでは読書会でしゃべることがない。

それで大慌てで、手持ちの『仮面の告白』を読んでみた。こちらは面白く、付せんもたくさん貼ることができた。短編集では、登場人物たちに作者の同情や共感が感じられずに操り人形みたいな感じを受けて興ざめしたのだが、若い三島が自分をモデルに書いているだけに、十分すぎるくらい気持ちが入っていて展開に釣り込まれる。

ここに書かれていることは、現在の観点からいえば、性的マイノリティであり身体的な弱者である主人公が世間の規範や差別と葛藤しながら、対世間の仮面を使いわけることで自己認識を深めていく物語と読めるだろう。いやむしろ、それ以外に読むことは難しいのではないか。

ところが文庫に収められた当時の文芸評論家の解説を見ると、「仮面」についての思弁を展開するのみで「戦後文学の最上の収穫」といったあいまいな賛辞を送っている。当時はまだ、性の問題が独立して思想的、社会的な課題として共通認識されておらず、あくまで個人が自分で認識すべき文学上の課題ととらえられていたことがわかる。

富裕な階層で育ち、文学に親しんだ三島が、戦時中も国家のことをさほど意識せずに自分の問題にかかり切りになっていた様子や、徴兵を免れる努力をしていたこと、敗戦にもさほどショックを感じていないことなども面白い。後年の『憂国』の勇ましい姿はここには見えない。

ただ、今になって振り返ると、二十歳までには死ぬと思って生きざるを得ず、いざ二十歳になると、敗戦後の焦土の上でまったくの別世界に投げ込まれた「戦中派」という特異な世代の刻印は、三島にもしっかり押されているように思える。

小説家としての成功の場所に安住できず、肉体改造や楯の会へと「漂流」し、自分なりの「原則」に殉じたその姿には。