大井川通信

大井川あたりの事ども

『美と共同体と東大闘争』の続き

前回、東大全共闘の思想の空疎さについて書いた。一方、三島の言っていることは、その当否はともかく明確だ。ただ、集会の中での言葉だけに謎めいた発言もまぎれていて、そこが興味深い。

「ぼくらは戦争中に生まれた人間でね、こういうところに陛下が坐っておられて、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間、木像のごとく全然微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。こんなことは言いたくないよ、おれは。・・・そしてそれがどうしてもおれの中で否定できないのだ。それはとてもご立派だった、その時の天皇は」

これと似たことを僕は聞いたことがある。小学校1年生の時の担任は年配女性の山本先生だった。先生は、僕たち生徒に、天皇か皇太子が儀式の間まったく姿勢を崩さないことを、誇らしげに語ったことを記憶している。落ち着きのない生徒たちへの説教に使ったのかもしれないが、ここには「動かないこと」への畏敬の念がある。

「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るかは知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかく残して私は去っていきます」

これは、三島が全共闘との間で「天皇」をめぐって議論できたことに満足して、最後にもらした感想である。天皇という言葉を口にするのも汚らわしかったはずの学生たちが、とにかく天皇について言葉を交わしたのだ。

もちろん、三島はこの対論がただちに学生たちの思想的転向をもたらすなどとは考えていなかったはずだ。しかし、残された言霊に、そして言霊を残すことに賭ける。翌年の不可解な自死の伏線として受け取ることができるかもしれない。