大井川通信

大井川あたりの事ども

舞踏を読む

知人の振り付けた舞踏(作品名"gradation" 振付・井野禎子さん/ダンサー・辻奈津子さん)の上演が、参加する読書会の企画として、小さなアトリエで行われた。コンテンポラリーダンスというジャンルは全く歯が立たないことがわかっていたので、せめて生身の身体表現に接することに慣れておこうと、事前準備として小劇場の演劇やパフォーマンス、舞踏の舞台をいくつか観るようにした。また、自分の考えを振り返ったり、新たに本をよんだりして、舞台表現を観るためのポイントのメモをつくった。

結果的にこれはよかったと思う。同じ作品を解説をはさんで二度上演するプログラムで、質疑応答でのやりとりをふくめて、ダンスや振り付けの意図や哲学、方法をかなりていねいに説明してもらったが、自分なりの観方(認識・鑑賞の枠組み)があることで、この本格的な作品の価値にかろうじて気づくことができたと思う。

以下、事前に作ったポイントを列挙したうえで、今回の感想をメモしてみる。

 

①身体はどんな文法で運用されるのか。

➁身体はどのように延長、差異化、非中心化されるのか。

③身体は道具、影、鏡像、映像とどのようにかかわるのか。

④身体はどんなリズムを刻み時間を生きるのか。

⑤身体はどんな感情を表出し物語を紡いでいるのか。

⑥世界はどのような装置(特異点、ゼロ記号)によって立ち上がるのか。

⑦立ち現れた世界は、どのように構造化、細分化されているのか。

⑧照明は、世界をどのように区切るのか。

⑨音響は、世界にどんな感情・情景をもたらすのか。

⑩世界内の身体と世界外の観客との関係はどのようなものか。

 

以上のような問いに対する知人の舞台のありようは、きわめて明快な徹底したものだった。⑥と⑩とが、僕が舞台を観る上で最も気にかかる点だが、知人の舞台は見事でオリジナルな回答を与えている。

舞台はグリッドを単位として立ち上げられた座標系(通常はその四隅に柱を立てるそうだ)によって構造化されており、舞踏者の位置取りや動きは振付師による緻密な指示書に基づいている。動作も全て記号化されて指示される。ダンサーは拍にしたがってグリッド上の動きのみに集中する。道具も影も照明も音響も無関係だ。自己表現や物語の要素も一切ない。

こうしてグリッド単位の設計図が、不可視のゼロ記号として、日常世界と隔絶した世界を成立させる。そして問題なのはその後だ。純粋な構築物としての舞踏の世界は、その純粋性のゆえに非世界にいる観客たちに、出来合いでない感情や物語や情景をともなって体験されることになる。

ここまで書いて、この作品の方法論が、現代美術(コンテンポラリーアート)のある種の作品と共通していることに気づいた。オリジナルなコンセプトとともに、テクニカルで身体的な要素が重要であるという点で。