大井川通信

大井川あたりの事ども

いとこのけんちゃん

僕の育った実家の隣には、おじさん(父の兄)の家があってその家族が住んでいた。正確にいえば、叔父夫婦が家を建てて住んでいた敷地の一部に、父親の結婚をきっかけに家を建てて両親が住むようになったということだろう。専業主婦だった母親が、叔父夫婦と同居していた祖母の面倒をみたり、後には叔父夫婦の子どもたちの子育てを手伝ったりというふうに、両家の間には、敷地が同じ以上の深いつながりがあった。

ただ、土地を間借りしているという立場は、子ども心に微妙で居心地がよくないものだった。社会人になると姉も僕も実家を出て、それぞれ家を持った。両親が亡くなった後の実家は、取り壊しを検討したものの結果的に従兄に使ってもらうための贈与手続きをとることができた。

正直なところ、不動産の権利関係みたいなやっかいなことは、両親の世代で話をつけておいて欲しかったと思う。実際それは両親たちにも難しかったと思う。しかし、経緯がわからない次の世代ではらなおさら内輪もめや喧嘩別れの原因になりかねない。

話し合いが円満にできた背景は、もともといとこ同士の関係が良かったということがある。叔父の家の兄妹と僕の家の姉弟は、子どもの頃からよく遊んで育った。

従兄のけんちゃんは僕より5歳年長で、3歳年長の姉の方が遊んだのかもしれない。ただ、男同士ということもあって、僕の側からのあこがれの気持ちが強かった。

けんちゃんの部屋にある本を読んだり、庭の小屋に保存されたけんちゃんの持ち物で遊んだりした。けんちゃんの作ったロボットの工作を見習って、その仕組みそのままの工作をつくって学校に提出した。天体望遠鏡に憧れたのも、けんちゃんの望遠鏡を手に取ったためだった。

けんちゃんはのちに演劇の世界に入って、小劇場の劇団員を経て、公立劇場の運営の仕事をしながら、演劇評論を書いたり演劇論の講義をしたりした。僕が演劇を観るようになったのも、けんちゃんの影響が大きい。

先月二年ぶりに帰省して、けんちゃんと僕と姉で駅ビルの居酒屋で歓談した。けんちゃんはこの春、公立劇場の館長の仕事を辞めて、読書や執筆に時間をさけるようになったという。フォークナーの『八月の光』が思いの外良かったという話を聞いたから、僕もさっそく読んでみたのだ。ネットで映画を観るようになったと聞いて、僕も真似をして先月から意識して映画を観るようにしている。

小さなころとまるでかわらないと自分でも思う。そうそう、けんちゃんが長くかかわった劇団「黒テント」に関する分厚い研究書も読み通しておかないと。