大井川通信

大井川あたりの事ども

岡庭昇と吉本隆明(再掲)

岡庭昇(1942-2021)を読み直すときに、吉本隆明(1924-2012)の軌跡を参照軸にすることもできるだろう。狙いは、「戦後思想の巨人」に照らして、岡庭昇の仕事の大きさを示すこと。

〈詩と詩論〉

吉本隆明は詩人であり、詩についても多く論じている。前の世代の戦争詩を批判したり、70年代には、同時代の詩を「修辞的現在」として総括したりもした。岡庭昇も、詩人として出発し、2冊の詩集と2冊の詩論を編んでいる。「芸の論理」による60年代詩の批判は、吉本に先んじていた。

〈言語思想〉

吉本隆明の思想の根底には、『言語美』等で展開される、言葉や観念に対する原理的な把握があることは、よく知られている。一方、岡庭昇にも、「規範言語論」とも呼ぶべき、言葉と観念をめぐる本質的な理解があって、それが、詩論、文学論、メディア論等を貫いている。

〈世界文学〉

吉本は、古典や詩歌から、近現代また国内外の文学を、普遍的な相で論じることができた。岡庭昇もまた、漱石から戦後の諸作家、近現代の諸詩人だけでなく、例えばフォークナー論を一冊にまとめるなど外国文学についても、一貫した視座から論じている。

ポストモダン

吉本隆明は、オイルショック以後の社会の変化を受けて、批評のスタンスを変更した。『マスイメージ論』で大衆文化を論じ、先進国が「超資本主義」へ入った時代を独自の視点でとらえるようになる。同じころ、岡庭昇も狭義の文芸評論の枠組みから出て、文化批判、メディア批判へと重心を移していく。さらに『飽食の予言』では、食の問題等の現実批判へと舵を切った。

〈宗教論〉

吉本隆明は、キリスト教や仏教を広く論じて宗教論集成を出版しているが、90年代には、オウム真理教麻原彰晃を擁護する発言で物議をかもした。岡庭昇は、メディア批判や社会批判の一方、創価学会を擁護する立場を明らかにし、池田大作にオマージュを捧げる『戦後青春』を執筆している。

〈罵詈雑言〉

吉本隆明は、論敵に対して、レッテル貼りや決めつけなどして、激しい口調で罵倒することもいとわなかった。それに拍手喝采する向きもあったようだ。岡庭昇は、吉本の罵倒の被害者でもあったのだが、全方位に向けた「徹底粉砕」では負けていなかった。

〈アマチュアイズム〉

吉本隆明は、アカデミズムの外で独自の知を生み出して、在野の評論家一本で生活した稀な存在だった。一方、岡庭昇も、テレビ局職員という、多忙で花形の職業をこなしながら、余技でない独立の評論活動を貫いた点で比類がない。

〈メディア戦略〉

吉本隆明は、雑誌「試行」を主宰するとともに、数多くの講演に出向いて、読者と直接向き合った。岡庭昇も、雑誌「同時代批評」の編集・発行を行い、定期的な連続シンポジウムを開催した。また自著の出版を自から手がけた。

 

どうだろうか。岡庭昇と吉本隆明は、その思想の骨格において、その批評の構えにおいて、似ているといえないだろうか。

詩人として出発し、影響力のある詩論を書き、ジャンルを超えて文学に精通し、その根底に独自の原理論を持っていた者。80年前後の社会の構造転換に身を挺して臨み、批評の方法や対象を大きく変え、90年代には宗教の問題を、危険地帯に身を置いて論じた者。一貫して制度化された学問の庇護の外で、自らのメディアをも組織しながら、時に罵詈雑言を交えて、言葉を繰り出し続けた者。

吉本隆明が当てはまるのに異論はないとして、岡庭昇以外、この全条件を満たす批評家、思想家を僕は思い浮かべることはできない。

吉本隆明を読む人たちは、その片言隻句をもって彼を否定することはしない。彼の誤りや欠落さえも、吉本の全思想の中に位置づけて評価するだろう。だとしたら、岡庭昇の批評も、その言説の一部によってではなく、彼が戦後を生き抜いた思想の全体において受取る必要があると思う。

 

※僕がこのブログを書き始めたきっかけは、岡庭昇さんだった。当時不慣れのため細切れでアップした内容をまとめて、今月の勉強会のレジュメにした。岡庭単独の思想をどうこういうより、今は忘れられた「評論の時代」を振り返る材料になったような気がしている。