大井川通信

大井川あたりの事ども

漱石の句を読む

読書会で岩波文庫の『漱石俳句集』を読んだ。

順番に一つ作品を選んで感想をいい、参加者全員からコメントをもらうというやり方(これを三巡する)の会だから、自分が一ネタをしゃべれるだけではなく、各人それぞれの読み方ができるふくらみをもっていることが大切だ。

漱石の句は簡単であっさりしているものが多く、上の観点からの選定に苦労した。

「枯野原汽車に化けたる狸あり」

先ず、狸が「汽車」に化けるという、今からみると突飛な発想の句を選ぶ。明治の代に現れた文明の利器に対する人々の驚きや、鉄道が町から離れた枯野に敷設された事情などの時代背景に議論が広がったので、まずは成功。

「この下に稲妻起る宵あらん」

吾輩は猫である』のモデルの猫の墓標の裏に書いたという句。漱石は小説の中では邪険に扱っているようで実際には命日には好物をお供えしたというエピソードなどを披露。稲妻は生命エネルギーを供給するもので猫の復活を願うオカルト的発想ではないかという指摘もあって、おなじくオカルト風味の奥泉光著『「吾輩は猫である」殺人事件』を紹介することもできた。

「秋の江に打ち込む杭の響きかな」

この句は近代名句集みたいなもので読んで、暗記していた。てっきり虚子あたりの句だと誤解していたほどで、漱石離れした象徴性をもつ大きな構えの句だ。秋の入り江の広々とした眺めから始まって、力をこめた打撃の一点に意識は集中する。その一点から空気の振動が景色の全体をみたしていく、というダイナミズム。あきのえにうちこむ・・とア行が連なる語の響きのよさもそれに重なる。

「草山や南をけづり麦畑」

これは説明的で平凡なので選ばなかったが、大井川歩行者としては語りたかった句だ。当時は、燃料資源として木々が伐採されてしまった山も多く、茅葺屋根や肥料のために草をとる山も必要だったこと。明治には農業の拡大のために里山を削り麦畑の開墾がされたのだろうが、戦後の日本ではそれがミカン畑となり、今ではソーラー発電所となっているというあたりの事情も。