大井川通信

大井川あたりの事ども

『深尾正治の手記』 椎名麟三 1948

敗戦後わずか二年半で出版された古い作品集で、この中編小説を読む。どのページにもシミが広がっているが、紙質が悪くとも製本だけはしっかりしていて、読むことに問題なかった。

僕は本に関しては比較的潔癖で、少しでも汚れた古本を買ったりすることはない。ちょっとした偶然と勢いで手に入れた本なのだが、いざ読むと、紙面から敗戦後の時代が迫ってくるようで不思議な読書体験だった。ただそのために内容が素直に頭に入ってこなかったところがあるかもしれない。

この小説は岡庭昇が激賞していた(文芸誌のアンケートで戦後文学10選にあげていた)ので知っていたのだが、今まで読んだ椎名麟三の作品と比較しても、それほどいいとは思えなかった。

木賃宿に出入りする登場人物たちは、かなり突き放されデフォルメされた造形で、獄死したという主人公を含めて大半が命を落とすという結末も、さほど悲劇的な感じはしない。主人公の思想、感情には興味深い点があるのだが、肺病に苦しむ若い女性に対する、気まぐれで残酷な振る舞い(主人公の内面の空虚さの反映だとしても)は、とうてい受け入れがたかった。

岡庭昇の批評では、ここに大衆の倒錯した「夢」が描かれているということが評価ポイントなのだが、主人公の故郷の回想シーン等がそこまできちっと機能しているようには思えない。

この作品集の後書きでは、椎名は「現在流行の四つの世界観を、僕の許し得ない一点から抗議した」と書いているが、この政治的・思想的狙いが小説の図式性、観念性をもたらしたと考えた方がしっくりとくる。

逃亡する共産党員の深尾と深尾を告発する杉本、予言者風の元警官重太郎、無頼漢の池田と発明を夢見る小山、そして楽天家の宿屋の主人。敗戦直後の四つの世界観が彼らにどう当てはまるのか、今となっては想像が難しい。もちろん、細部においては椎名らしさが顔をのぞかせている。

「僕を、人々においてだけでなく孤独においてさえ死なし得るもの、それを僕は強く求めるのだ」という、同志に支えられる思想への強い不信感。自分を捕まえに来る特高らしき姿を見つけて「まるで凱歌のような歓喜が、鋭い戦慄となって僕の背筋を貫いた」という倒錯と自虐の感情。