大井川通信

大井川あたりの事ども

安部文範さんを悼む

安部文範さんの訃報に接する。

2年前の夏に不慮の病に倒れたものの、昨年末には手紙のやり取りもできるまで回復していた。ただ、コロナ禍の入院で見舞いすら許されなかったのが、もどかしかった。

もう少し待ちさえすれば、安部さんの生活がどういうものになっても、以前のように気楽に訪ねて文学の話などができるようになると思っていたが、それもかなわなかった。僕は安部さんを世間並みに見送ることもできなかったが、基本的に淡白だった二人のつきあいにふさわしい別れだったかもしれない。

安部さんとの出会いは、20数年前、ある当事者問題を扱うグループの集会だった。たまたま安部さんがレポートする会だったが、初参加の僕は調子にのって安部さんにあまりかみ合わない議論を吹きかけた記憶がある。当時、安部さんは美術コーディネーターや批評家として福岡の現代美術シーンで重きをなすとともに、その当事者グループの中心メンバーとして活躍していた時期だったから、年少で肩書もない僕をかまう余裕はなかっただろう。

安部さんとの関係ができたのは、二人がグループを離れたあとだった。僕が勉強会を持ちかけて、安部さんの命名による「9月の会」が、毎月二人で語り合う場として続けられるようになった。この会は途中中断をはさみながら、11年続く。この場で僕は安部さんから多くのことを吸収し、しだいに遠慮のないやり取りができるようになっていった。

この間、安部さんは毎年のように自宅の玉乃井で現代美術展を開催し、新聞に映画評の連載を持ち、菜園便りのエッセイを書き続け、映画会を主催し、玉乃井保存の活動に加わった。夏には、恒例の福間海岸の花火を見る会も。社交家の一面をもつ安部さんは、いつもそうしたグループや友達の輪の中にいたが、僕は相変わらず安部さんとは細々と一対一の関係でつながっているばかりだった。

9月の会にも一区切りをつけて、玉乃井カフェで時々話をするだけになったあと、僕は安部さんを車で誘って、宗像でそばを食べ、折尾のブックバーに同行したことがある。明治大文学部の後輩のマスターと話し、お酒を飲んだ安部さんはとても機嫌が良かった。

考えてみればこんな大人同士の当たり前の付き合いをしたことはなく、ぜひまた誘ってほしいと安部さんからも言われ、僕もその気になっていた。ところがこの直後にコロナ禍に見舞われ、数か月後の玉乃井展の会期中に安部さんが倒れてしまう。

倒れる数日前に、僕は家族で玉乃井展を見に行った。ありきたりの美術展でなくこれまでの表現活動の集大成ともいえる展覧会に、安部さんは少し興奮気味に見えた。妻はあとから、安部さんの目が異様に輝いていて宇宙人じゃないかと思った、と真顔でいう。

そう、玉乃井の闇の中で相対しているとき、安部さんのたたずまいに、この世の人ではないような感じをうけることがあった。冥福を祈る、というのは常套句にすぎないけれども、安部さんなら、冥土にもしっかりと居場所が用意されている気がする。リラックスして待っていてください。また、いずれ。

 

 

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