大井川通信

大井川あたりの事ども

「痕跡を消せ」 ブレヒト 1926

仲間とは駅で別れろ、/朝、街にはいるとき上着のボタンをきちんととめろ、/ねぐらを探せ、たとえ仲間がノックしようとも、/開けるな、いいか、ドアは開けるな、/それよりまず/痕跡を消せ!

ハンブルクであれどこであれ、親に出喰わしたら/そしらぬ顔でやりすごし、角を曲がれ、気付かぬふりをして、/親にもらった帽子を目深にかぶれ、/見せるな、いいか、顔は見せるな、/なによりまず/痕跡を消せ!

肉があればそれを食え! とっておこうと思うな!/雨が降ればどの家へでもはいり、そこにある椅子に坐れ、/だが腰は据えるな! 帽子を置き忘れるな!/よく聞けよ/痕跡を消すのだ!

何を言うにも、二度は言うな、/他人が同じ考えだとわかっても、同調するな。/署名をせず、写真を残さず、/現場に居合わせず、何も言わない、/そんな奴がつかまるはずがない!/痕跡を消すことだ!

もし死ぬつもりなら、墓が立たないよう/手配しておけ、立てば居場所が知れる、/まぎれもない字で名前がわかる、/死の年号がおまえの罪の証拠になる!、/いまいちど繰り返す、/痕跡は消すのだ!

(と、ぼくは教えられた)

 

※人気時代劇の『大江戸捜査網』(1970-1984)の「隠密同心  心得の条」の最後のフレーズ、「死して屍拾うものなし」を思い出した。地下活動家の非情なルールを取り上げるとともに、だれもに痕跡を消す可能性がある都市生活のリアルを浮き彫りにしている。最終行の批評性がこの詩を支える。