大井川通信

大井川あたりの事ども

二人の山本太郎

つい先日、詩歌を読む読書会で、詩人の山本太郎の話が出たと思ったら、通勤途上の路上で、山本太郎来る、のビラをもらった。こちらは、政治家で元タレントの山本太郎だ。

大学生の頃、現代詩を読み始めたころ、山本太郎(1925‐1988)の影響を受けた。現代教養文庫の『詩の作法』(1969)は、僕が実際に詩を書くうえでの教科書みたいなものだった。山本さん自身の詩が長尺で、自由自在にユニークな比喩を繰り出すタイプだったが、小さくまとまった詩を書くことをたしなめていたのが印象に残っている。

地元の図書館に山本太郎が寄贈した詩書のコーナーがあったのも、親しみを感じる理由だったかもしれない。ただ、彼は、晩年、盗作騒動に巻き込まれている。その相手が、今回読書会で読んだ『ドイツ名詩選』の編者生野幸吉(1924-1988)で、若いころの出世作が生野の詩句の盗作であったことを、ずいぶん後になってから告発されたのだ。

僕が愛読している山本太郎編『ポケット日本の名詩』(1983)に生野幸吉の詩が選ばれていないのは、山本が選ばなかったのか、それとも生野が掲載の許可を出さなかったのか。

政治家の山本太郎は、ちょうど僕の勤務先のある駅前で、ちょうど僕が帰宅する時間頃に公開討論会を始めるようだ。めったにない機会なので、駅前のバーガーショップで時間調整して、話を聞いてみることにする。聴衆は思ったよりはるかに少人数で、すぐ目の前で山本太郎が熱弁をふるっている。元芸能人だけあってなかなかの容姿と存在感だ。

テレビやネットの中の人が、目の前の実体として存在して活動する。ただしその驚きと興奮は一瞬だけのものだ。そこでの政治的主張とパフォーマンスは、とりたてて支持者ではない僕でもさんざん情報として受け取ってきたものの「再生」に見えてしまう。

最後まで見るくらいの気合で腹ごしらえをしていたのだが、5分で飽きてその場を後にした。