大井川通信

大井川あたりの事ども

夕闇の田んぼを歩く

定年後半年が過ぎて、そろそろ自分自身を立て直さないといけない。定年という区切りをデッドラインとして、自分なりの緊張感を維持していた生活のタガがはずれて、また新生活の糧を得るための仕事に慣れるのにも時間がかかり、家族にもあれこれの心配事もあったりして、どうにも締まりのない時間をすごしてきた。

以前からの活動はそこそこ続けているが、同じことの繰り返しでは先がない。もう一度足元を踏み固めて、やれること、やるべきことを掘り下げなければ、と思う。

そんなことを考えながら、夕闇のせまる大井の集落に降りた。

大井川の両側には、丘陵に挟まれて、田んぼが続いている。小規模の住宅の開発があったり、土砂を突き固めて駐車場になったスペースがあって、田畑の絶対的な面積は減少しているものの、ここ10年、20年でそこまで作付け面積は減少していない気がする。

僕が知っている限りでも、ここ何年かでリキマルさんご夫婦やナガイさんご夫婦など、大井の田畑で農作業をしていた年配の方が亡くなっている。本当ならどんどん休耕田が広がっても仕方がないはずだ。

この現象を僕の見聞の範囲内で、説明してみる。まず、いったん実家を離れた息子さんが定年等をきっかけに親の介護等で戻り、農作業を継続するというケースがあるようだ。元職はまったく農業と関係なくとも、すっかり農作業が板についている人もいる。

村の賢人原田さんのように、移住者として古民家と共に農地を借り上げている例もある。原田さんの田んぼでは、保育園の子どもたちの田植え体験を受けいれたりしながら、無農薬で自分たちが経営するレストランで提供するお米を作っている。

昨年、かなりの面積の休耕田があったのだが、今年はある事業者が一括して借り入れてコメ作りをしているという話を聞いた。街道沿いのスペースにプレハブで事務所を作り、障害者の人たちを雇って、農作業を行っている。原田さんもその真面目な仕事ぶりを感心していた。その事業者はお弁当事業を行っていて、そのための安全なコメ作りのために障害者雇用を利用しているようだ。これはかなり前向きな発想による実践だと思う。

こうした様々な新陳代謝があるからこそ、大井の田んぼとその景観が維持されているのだろう。闇に沈んだ田んぼの中の一本道を歩きながら納得する。