大井川通信

大井川あたりの事ども

楠の根をしづかにぬらす時雨かな  与謝蕪村

俳句を多少読んでいたのは、中高生の頃や、せいぜい大学生の頃だったから、今になって読み返すと、これまでの経験のおかげで理解が深まるということがある。これは何も人生経験というような大げさなものではなく、単純な自然に関する知識の増加に基づくものが多い。

いくら都会生活を積み重ねても自然の知識は深まらない。僕でいえば、ここ7、8年の大井川歩きで学んだことばかりだ。

蕪村のこの句は、以前から知っていて、印象も悪くなかったと思う。ただ、クスノキを知らなかったから、この木の根もごくこじんまりしたものをイメージしていたと思う。それではこの句を本当に味わうことはできない。

僕の住むあたりには、クスの巨木が多い。大井の境界のランドマークも樹齢数百年のクスノキだし、徒歩圏内にも市の天然記念物に指定されているクスノキが二本もある。その内の一本は、巨大なタコのような根を四方に露出させている。小屋ほどの大きさになっているが、長い年月をかけて隆起したものだろう。

クスノキは常緑樹で大きく張った枝には深々と葉が茂っているから、根元付近には日が差さずにいつも湿っている。雨が降っても雨足が直接かかることはないが、雨量が多くなれば、樹木全体が水分をはらみ、濃い霧のようなものがゆっくりと露出した根をぬらし始める。

クスの老樹ならば、250年前の蕪村の見た巨木が今も生き残っていて、同じように雨に根をぬらし続けている可能性さえあるだろう。それくらいの時間的な広がりをもった句なのだ。