大井川通信

大井川あたりの事ども

月天心貧しき町を通りけり  与謝蕪村

あまりにも高名すぎるかもしれないけれど、昔も今も蕪村で本当に好きなのはこの句である。あと「葱買うて枯木の中を帰りけり」も。実にすっきりした調子で、両句とも、暮らしの中で「歩く」場面をフォーカスしているのがよいのではないかと、大井川歩きの実践者として思ってしまう。

天頂近くの月を見上げるとき、必ずと言っていいほどこの句を思い出す。記憶をさかのぼると、幼い頃、正月に親戚の家に出かけた帰り道、真夜中に家族で歩いた街の光景がまっさきに浮かぶ。しかし、それ以降の記憶は、たいてい深夜に一人で見上げる月だ。つい先日も、家の玄関前で月を見上げて、この句を思い浮かべたことがあった。

天頂の月は、地平線近くで山の稜線や街並みになじんでいる月とは違って、人間界を超越する天空の中心のように見える。とても遠く、小さく、しかし厳然と輝く月の姿を、月天心という漢語は、見事にとらえているように思える。

こんなふうに厳しく垂直軸を意識させるような月は、従来の日本文化とは異質の存在かもしれない。超越的な月は、それゆえに、貧しくあらざるをえないすべての存在者をくまなく垂直に照らしている感じがする。そう読むと、どこか宗教的な救済のビジョンすらうかがわれるのだ。