大井川通信

大井川あたりの事ども

『もうじきたべられるぼく』 はせがわゆうじ 2022

「どうぞのいす」でも、登場人物たちは、みな動物だった。絵本では、何の断り書きもなく、あたかも当然のように動物たちの視点で物語が始まることが多い。人間の生活が自然と切り離されるようになった現代でも、この傾向は変わらない。

一方、いうまでもないことだが、大人の読む小説で登場「人物」が動物であることは、ほぼありえない。これはとても不思議ではないか。僕が不思議がると、子どもにもわかりやすく、親しみやすくするためだ、と答えた知人がいた。

しかし、本当にそうだろうか。子どもたちの周囲には、ペット以外の動物など動物園で見かけるくらいだろう。周囲の人間たちと違って、動物たちのふるまいは人間らしくはないし、言葉もしゃべることもない。子どもたちの日常にとって、動物たちは、親しみやすいわけでも、特にわかりやすいわけでもないはずだ。

動物という異類を、人間と同様にふるまい、考え、感じ、言葉をつかうものとして受け取るのは、じつは相当高度な能力ではないのか。大人になって人はこの能力を失ってしまうから、それを子どもっぽい幼稚な「見立て」としか思えなくなるのだろう。

『もうじきたべられるぼく』は、ネット上で話題になった作品の出版らしく、とても短くわかりやすい絵本だ。もうじき食肉にされる牛の子どもが、ふるさとの牧場にお母さんを訪ねる。しかしお母さんを遠目に見て、母親を悲しませないためにそのまま帰るという話だ。やわらかいタッチの絵とキャラクターがとてもよく合っている。涙なしには読めない絵本だ。

ネット上の感想を少し読むと、中にはこの「見立て」が不自然であるとか、子どもに読ませられないとかいう大人のコメントもあった。

なるほど、人間たちは食肉をやめることはできないだろう。しかし、この絵本に素直に反応してしまう心は、異類との交渉を当たり前のものとする人間の根本の感性に根差したものであって、そこから発せられる「命あるものを殺すな」というメッセージはとても貴重なものだと思う。

このメッセージが、僕たちの心や社会の根底にひそかに鳴り響いているからこそ、かろうじて僕らの人生や社会は成り立っている。この戦争の時代に正気で向き合うためには、命を殺すな、という端直な思想を握りしめるしかないのだと思う。