大井川通信

大井川あたりの事ども

円覚寺舎利殿 神奈川県鎌倉市(禅宗様建築ノート5)

円覚寺舎利殿はかつて、鎌倉時代にさかのぼる禅宗様建築の典型として扱われていた。だから日本史の教科書なども、中世建築の新様式の説明では、大仏様は東大寺南大門、禅宗様は円覚寺舎利殿が写真付きで紹介されている。

ところが研究が進んで、実際は焼失を繰り返した後移築されたもので、1407年建立の正福寺千体地蔵堂と同時期の室町中期に建てられたものと推定されるようになった。写真や図面で見る限り、この二つの国宝建築はそっくりだ。

とはいえ、鎌倉の大寺院の奥深く寺宝として非公開の舎利殿と、東京郊外の東村山で庶民の信仰を集めてきたお堂とでは、ネームバリューはもちろん、建物としてのオーラが違うだろう。

たとえば、毎日新聞社発行の国宝建築写真集シリーズ『不滅の建築』では、全12冊の内の一冊として円覚寺舎利殿が取り上げられ、細部までとてもきれいに撮られている。おそらく正福寺地蔵堂が、ハードカバーの写真集になることはこれからもないだろう。

年に一度の一般公開に出かけたのは、禅宗様建築マニアとして、円覚寺舎利殿の姿を一度は見ておきたかったからだ。こうして念願の舎利殿を目の当たりにした第一印象は、これは正福寺地蔵堂と全く同じではないか、というやや拍子抜けしたものだった。

円覚寺の静謐な境内の奥にあって、回廊に守られ、背景を高い緑の崖に囲まれたロケーションにありながら、プラスアルファのオーラが感じられなかったのだ。参拝の終わりには、無言の雲水が深々と礼をするという「演出」まであったのだが。

その理由を考えてみる。

まず、これは当然だが、600年前の建物の傷み具合や古び方、修復された様子が、地蔵堂と大差がなかったのだ。裳階(もこし)の柱が継ぎ足された部分から曲がっているところなど、地蔵堂より年期が入って見えたくらいだ。

あとで図面をみて納得したことだが、舎利殿地蔵堂よりやや小さい建物なのだ。一辺が8メートル余りの正方形の平面の建物だが、一辺あたり40センチ、つまり5パーセントほど短い。全体が同じ縮尺で作られているなら、建物のボリューム感にある程度の違いが出てしまうだろう。

小規模の禅宗様仏殿は、よく言えば繊細で巧緻だが、悪く言うと華奢でか弱い印象を持たれる。地蔵堂からの若干のスケールダウンが、微妙な迫力不足とミニチュア感をいだかせたのかもしれない。

そして最後にロケーションの問題。禅宗様建築は、自然と対立し、独立した自己を主張する造形物だ。懸けづくりの建物が似合いそうな豊かな自然環境は、舎利殿の魅力にはプラスに働かなかったのだろう。