大井川通信

大井川あたりの事ども

建長寺法堂 神奈川県鎌倉市(禅宗様建築ノート6)

鎌倉は、中学での遠足以来だと思う。その時はグループ行動だから、建長寺の門前を通過しただけで、境内に入ることはできなかった。修学旅行で東大寺の二月堂を見ることができなかったのと、同じパターンだ。※写真で確認すると、20代の頃にも一度行っているようだ。

半世紀近くぶりのリベンジで、境内をゆっくり歩く。有名な仏殿は、派手な建築で面白味はあるがバランスが悪い。むしろ感心したのは、仏殿のすぐ背後にある法堂の方だった。今回の掘り出し物はこの法堂で、このお堂に出会えたことで、鎌倉に来てよかったと心底思えた。

法堂は江戸後期の1825年の建物だから、重要文化財に指定されたのは近年で、僕が熱心に古建築を調べていた当時には、特に取り上げられるような遺構ではなかったのだ。昔は江戸時代の建物が重文指定されることはまれだった。

建物は「方三間もこし付」という円覚寺舎利殿や正福寺地蔵堂とまったく同じ形式をとりながら、それを大規模化したものになっている。平面の寸法では正面は20メートル近くあるから、8メートル余りの舎利殿地蔵堂との規模の違いは明らかだ。

仏殿との距離が近すぎて正面からは見にくいが、広々した境内から飛翔感がありつつも重厚な外観を楽しむことができる。

では内部空間はどうか。母屋の全面に低く平坦な天井が張られて、禅宗様仏殿特有の垂直的に駆け上がるような内部架構はうかがえない。しかし禅宗様の大規模な仏殿には、もう一つの見どころがある。内部の広々した土間に並ぶ列柱の魅力だ。

内部は、中心の4本の柱が省略されているが、仏壇の左右の二本の柱を除いても10本の太い円柱が堂内の内陣を取り囲むことなる。さらにいうと、もこしの角柱も十分に太く母屋の円柱と見劣りしないほどなのだ。外から見えるのはもこしの角柱だけだから、これが外観の堂々たる風格につながっている。舎利殿のもこしの柱のひ弱さが気になったばかりだから、いっそうそれを感じた。

天井には新しいものだが竜の絵が描かれており、母屋の内陣に五色の布が垂らされているというエンタメ感もよい。何より文化財をきどらずに、信仰の空間として出入り自由の開放性が心地よかった。