大井川通信

大井川あたりの事ども

稲葉天目を観る

5年ほど前、曜変天目の再現に人生をかける陶芸家のドキュメンタリーがあって、強い印象を受けた。その陶芸家(九代長江惣吉)の淡々とした人柄も好ましかったが、何よりその破格の情熱に心を奪われた。

それ以来、焼き物について何の知識もない僕にも、曜変天目という茶碗は特別な存在になった。曜変は、南宋時代に中国福建省の建窯(けんよう)で製作されたとされる茶碗で、日本では天目茶碗の最高峰と位置付けられているが、世界でも日本の国宝の三点しか現存していない。その制作方法が不明であるために、困難な再現に挑戦する陶芸家たちが跡を絶たないようだ。

曜変天目は、器の内側の黒い釉薬の上に、大小の星のような斑紋が浮かび、その周囲に瑠璃色の光彩が取り巻いており、「器の中に宇宙が見える」とも評される。

以前、家族旅行で奈良を訪れたときに、国立博物館で偶然、藤田美術館所蔵の曜変天目が公開されていた。長い行列を並ばないのなら、ロープの外側から遠巻きに眺めるしかない。これだと器の中を完全に見ることはできないが、単眼鏡で斑紋と光彩を目に焼き付けて満足することができた。

今回も禅宗様詣でのついでに、たまたま丸の内の明治生命館内の美術館で、国宝曜変の一つである通称「稲葉天目」の特別公開を観ることができた。奈良で懲りたので、ゆっくり見ることはとてもできないと覚悟はしていた。

ところが今回は、美術館の移転記念の企画展で、その外にも国宝が多く、また展示期間も長いせいか、そこまで曜変に人が集中することがない。曜変を展示するガラスケースの前にとどまって、じっくり四方からそれこそなめるようにじっくりと堪能することができた。

稲葉天目は、三つの曜変の中でも一番斑紋がくっきりと目立っていて、写真で見るかぎりすこしどぎついイメージがあった。ところがさすがに実物は、少しもわざとらしくない。描き足したものではないから内から自然に生じた世界の奥行が感じられる。器の縁に近い部分の深い漆黒と有機物のように浮き立つ斑紋とのコントラスト。底に近づくほど青く輝く光彩がハケで刷いたように入っている。

この旅行ではいくつか美術館も訪れるつもりだったが、稲葉天目一点に圧倒されて予定はキャンセルすることにした。

 

 

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