大井川通信

大井川あたりの事ども

『換気扇の下の小さな椅子で』 清水哲男 2018

今年になって、詩人清水哲男(1938-2022)の訃報に接した。3月7日のことだ。僕は弟の清水昶(あきら)の詩が好きだったし、彼の初期の詩も面白いと思っていたので、多少の好感を持っていた。ただ、たまたま古書店で購入した中年になってからの詩集が、何か有名詩人という立場に胡坐をかいたようなぬるい印象だったので、それ以上読もうという気持ちにならなかった。

たまたま国分寺の古本屋で、清水哲男の薄い詩集をみつけて、読みやすそうだったので買ってみた。生前最後の詩集で、これが思いのほか良かった。前読んだ詩集への酷評が申し訳なかったと思えるほどに。

清水哲男には若いイメージがあるから、作品の中でよろよろと歩く場面に違和感があって考えてみると、詩人もこの時80歳になっているのだ。

当たり前だけれども、活字には年齢は出ないから、詩そのものはいつまでも若いということを実感した。老いた見た目もしわがれた声も、活字で遮断されてしまうのだ。

この詩集がいいのは、老いと死という強力な他者と向き合いつつ、残された乏しい持ち札で何とか言葉の勝負に挑んでいるところだと思う。若い時は有り余る生命と新鮮な現実が、自在に詩の言葉を駆動したのだろうが。

 

大きなねじ釘で青空を留める/中くらいのねじ釘で丘を留める/小さなねじ釘で小さな家を留める/小さな家には小さな煙突を建てる/家の屋根は赤く塗り壁は薄緑色に/煙突からは白い煙が/ひとすじの生活の息吹が立ち上り/あたりには良い匂いが漂い始める/犬が通りかかる/自転車がすぎていく/大きな烏がばさりと羽撃く/家の中から子供らが走り出てくる/そしてまた走り込んでいく/道には小さな麦わら帽が残される/そのうちに百年が経過し/ねじ釘が緩み/ある日突然にがくりと首を折る/青空も赤い屋根の家も小さな煙突も/そよろと吹いてきた風に吹き剥がされ/裏返って真っ黒になる

死はそのようにいつも訪れる    (「風景」)

 

 

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