大井川通信

大井川あたりの事ども

人吉盆地をめざす

月初の鎌倉に続いて、急に思い立って人吉盆地(球磨盆地)に旅行する予定を立てた。出不精で内弁慶の僕には珍しいことだ。

人吉盆地は、隣県熊本の中でも一番遠いところにあって、ほとんど意識したこともない場所だった。しかし今回調べてみると、僕の興味の対象がいくつも重なって存在する土地だと気づき、がぜん興味がわいたのだ。

一つには、やはり古建築だ。若いころから見てみたいと思った重要文化財の中世の仏堂が熊本県には二棟あったが、その場所をくわしく確かめたことはなかった。今回調べてみると、その後追加指定された二棟の仏堂と併せて、四棟の重文仏堂が、人吉盆地の一角のごく近い場所に集まっていることがわかった。

さらに球磨郡の地名を見ながら、思い当たることがあった。アメリカの人類学者エンブリーが戦前調査に入ったことで名高い「須恵村」もこのあたりにあったのではないか。昨年その新訳を読んでから、いつか訪ねたいと思っていた須恵村(現あさぎり町)も古建築群と目と鼻の先の人吉盆地の中にあったのだ。

僕は地元の里山の神様クロスミ(黒尊)様の由来を調べる中で、日本各地に残るクルソン(狗留孫=黒尊)という巨石信仰の存在を知って興味をもった。山口県下関市のクルソン山を登って以来、できればその以外のゆかりの地に足を運びたいと思っていた。人吉盆地の険しい山中にもクルソン神社(クルソン岩)があることをなんとなく記憶していて、こちらも調べると、須恵村のちょうど真向いの山中にある。実際の登山は無理でも現地から仰ぎ見たいという気持ちも起きた。

まずは中世古建築への欲望から、次には「須恵村」の現状への興味から、最後にはクルソン信仰への関心から、不得手な高速での長時間ドライブに挑戦することになったのだ。