大井川通信

大井川あたりの事ども

須恵村訪問記(その5 白髪岳と月明学校)

球磨盆地をとりまく山々で、市房山はそれとわかる厳しいシルエットを持っているが、白髪岳の方は、意外にもなだらかで穏やかな稜線を見せていて、人に教えてもらうまでわからなかった。盆地から見るかぎり大きなお饅頭のような山容は、クルソン峡の険しいイメージとは正反対のものだったのだ。

この山にも下宮としての白髪神社があり、そこから山すそを少し登ったところに谷水薬師がある。谷水薬師は、球磨地方でもっとも有名な薬師で、6月8日には年寄りが、土用の丑の日には若者が最高の晴れ着でお参りに訪れたそうだ。薬師へのお参りは若い男女が出会う絶好の機会だったと『須恵村』に書かれている。

僕は白髪岳登山の代わりに、下界の神社と山すその薬師にお参りしたが、谷水薬師の方はまさに谷川沿いで山中の雰囲気を味わうことができた。この先数キロの山中にクルソン岩がそびえているのだ。少し山道を歩くと麓城址という紅葉の名所があって、高台からの眺めと終りかけの紅葉を楽しんだ。

今回調べる中で、白髪岳の山頂近くにはクルソン神社やクルソン岩だけではなく、かつて小学校の分校があり、戦後評判となった教育実践記録の舞台だったことを知った。

作家三上秀吉の家族が戦時中この地に疎開して、山中の分校の教師になる。分校を手伝った娘(三上慶子)がその経験を『月明学校』という本にまとめ、1951年に出版して作家デビューすることになった。70年の年月は、そんな事実をほとんど時間のかなたに消し去っている。

『月明学校』が僕が好きな現代教養文庫社会思想社)の一冊にもなっていたというのは驚きだが、いつか機会があれば読んでみたいと思う。ただしそう思う人も少なくはないらしく、古書価格は驚くほど高額なのだ。