大井川通信

大井川あたりの事ども

庚申塔さまざま(球磨、山鹿)

庚申塔(こうしんとう)は面白い。まず、とにかく数が多い。少し古い町なら、集落ごとにあったりもする。次に、形状も様々だ。とても同じ名称でひとくくりにできる石塔とは思えない。さらに地方ごとに大雑把な特色がある。僕の今の地元は文字塔ばかりだが、実家のある東京では、庚申塔といえば青面金剛の像のレリーフだ。

庚申塔信仰の由来というものが、かなりいい加減で説得力が感じられないという緩さもいい。由来はともかく、定期的に近所で集まって会食しながら夜更かしする祭り方が、日本人の生活パターンに合っていたということなのだろう。

球磨盆地でも、いくつかの庚申塔を見た。旧須恵村阿蘇釈迦堂の近くには、変わった形の庚申塔が二つあった。一つは、五輪塔の形をしていて、1535年の年号があって古い。もう一つは、背の高い石灯籠の形で1669年のもの。ただこの二つは、普通なら庚申塔とは気づかれないだろう。

川瀬の川べりに、かなり背の高い縦長の自然石の庚申塔(1663年)があったが、一番上に梵字が一字描かれ、次に「庚申」の文字、一番下には仏像が薄く彫られている。この塔の頭には平べったい石の傘がのっているのが面白いが、もしかしたら傘以外は、この地方でよくみられる庚申塔の形式なのかもしれない。なぜなら、白髪神社の近くで、同じような梵字と文字と仏像の組み合わせの庚申塔を見たからだ。もちろんこれは推測にすぎない。

熊本の北部の山鹿温泉に泊まったときには、ホテルの前に宗方八幡という神社があって、狭い境内には、たくさんの庚申塔が並んでいた。その庚申塔の特徴は、矢じりのように頭のとがった石が使われていることだ。どれも文字塔で「猿田彦大神」の文字が刻まれていた。