大井川通信

大井川あたりの事ども

冬至のお祭り

同じ市にある黒住教の教会で、冬至のお祭りに参加する。実際の冬至は22日だから、参加しやすい休日に設定しているのだろう。

いつもは人気のない教会に、この日ばかりは活気が感じられる。教会長さんも神主のような上下真っ白の正装をしている。義理の娘さんが巫女がするような助手の役割をしている。祝詞をよみ上げたり、玉ぐしを奉納したり、途中で頭を低くしたり手をたたいたりする礼拝のスタイルは、教派神道の一つなのだから当然だろうが、神社のお祭りと同じだ。

僕は半ば以上仕事で、職場の地域の神社の大小のお祭りに毎年のように参加した時期があるから、この手の行事には慣れている。十人ばかりの参加者といっしょに椅子にすわって礼拝に加わった。参加者は女性の方が多いが、みなさん高齢の方ばかりだ。礼拝の前後で女の人たちは親し気におしゃべりするが、男性同士が無口なのは、どの地域行事でも同じか。

祝詞について、小さなパンフレットが配られて、全員でかなり長文の祝詞を唱和するというのは初めての体験だった。しかしこれは神話の文言の散りばめられた一般的な祝詞のようで、教会長が一人で唱える祝詞の方に独自色があるような気がした。

広間は前後に、信者たちが並ぶ「礼拝空間」と教会長たちが神事を執り行う「内陣」とに区別されるが、内陣はさらに左右に分かれ、右側だけが板張りで一段高くなり正面に本格的な祭壇がしつらえられ、左側は畳の間で祭壇も簡略化されている。

左右にはそれぞれ真ん中に鏡が祭られ、礼拝も別に行われるから、違った神様が祭られているのだろう。左の祭壇で教会長の読み上げる祝詞の中に、何人もの個人名が入っているのが気になった。あとから聞くと、右は神様を祭り、左はご先祖様を祭っているそうだ。信者がすわる脇の壁にあまり目立たずに肖像写真が掲げられているが、現在の教主(教団トップ)だろうか。

礼拝が終わると、右側の祭壇の正面に演台がおかれて、教会長がこちら向きに巻物を広げて、「御七カ条」を読み上げる。教祖黒住宗忠が示した生活上の心得だ。この時、教会長は烏帽子を脱いで、紋の入った黒い羽織をはおっており、なんとなく教祖の肖像画を思わせる。そのあと、信者に向けて少し長めのお話があったが、これがおそらく黒住教らしいスタイルなのだろう。

この冬至のお祭りは、教祖が1814年(文化11年)の冬至の朝に「直受の天命」を受けて開教したことに因んでいるようだが、そのことが話題になることはなかったし、家と個人とのバランスが大切(家の先に祖先と神様がある)という教会長の穏やかな語りの中に、黒住宗忠の過激な思想(我と神とが一体となって、生死を超えて「生き通す」)を読み取ることはできなかった。

しかし、それは仕方がないことなのだろう。宗教が人々の生活習俗の中に溶け込んで広まり生き続けるということは、おそらくそういうことなのだ。また、だからこそ、あらゆる宗派の改革が「教祖に帰れ」という呼びかけで始まることになるのだろう。

 

※教会長の話から、黒住教では神式の葬祭の仕事の比重が大きいのを知った。左側の祭壇で先祖を祭るということと関係しているのかもしれない。