大井川通信

大井川あたりの事ども

『裁かれた命』 堀川惠子 2011

実家近くの事件を扱っているドキュメントだから手に取ったが、想像以上のものだった。2015年の講談社文庫版で読了。

強盗殺人事件の現場は、国立駅から東に数百メートル歩いた小高い丘の上の、林を切り開いてつくった住宅地で、線路沿いともある。街が開けた駅の南口の方なら、丘(国分寺崖線)の手前の線路沿いに親戚が住んでいたから、思い切りなじみのある場所だ。仮に北口だとしても、線路を挟んで反対側のあたりをイメージすることができる。

犯人の長谷川武は、犯行当時の1966年5月で22歳。僕がまだ幼稚園入園前の幼児だったころだ。犯行後数日で逮捕され、5年後の1971年11月に28歳で処刑されている。彼の母親が1979年に自殺したのは現場近くの国立の線路だった。その時の僕は高校三年。

このドキュメントの一方の主役は元検事で刑事法学者の土本武司(1935-)だ。テレビのコメンテーターをしていたころの元検事らしく少し強面の姿をよく覚えている。若い検事として、長谷川を取調べ、生涯で唯一の死刑求刑にかかわった。長谷川に慕われ、9通の手紙を受け取っている。その内容にうたれ、長谷川の恩赦の可能性を探ったこともあった。筆者の調査によって長谷川のお墓の場所がわかり、その場に駆けつける土本の姿には胸が打たれる。死刑存置論者である土本の葛藤と逡巡を描くことで、このドキュメントは通常の死刑存廃論争では届かない深みに達しているようだ。

二審以降の弁護を引き受ける弁護士小林健司の人物像も興味深い。戦前の中野正剛の事件にもかかわった硬骨の元裁判官で、すでに亡くなった小林が残した長谷川からの47通の手紙と裁判資料が、長谷川の生い立ちと事件の謎を解明する手がかりとなる。

筆者は、こうして長谷川の両親の来歴や、父親の事故死後に家出した弟のその後の人生を探り、長谷川武の事件がどのような場所で生まれ、それがどのような波紋を引き起こしたかをていねいにたどっていく。そして全く埋もれていた長谷川とその家族の物語を、そのことを真っ先に話すべき人たち(養子に出された長谷川の末弟と元検事の土本)に返していく。見事な立ち居振る舞いだと思う。

このようなドキュメントでは、加害者ばかりでなぜ被害者に触れないのかという批判を招きがちだ。それに対する筆者の説明も納得のいくものだ。長谷川の取材を被害者の遺族にぶつけることは、取材者に許される範囲を逸脱している、と。また、「それにあえて触れるのならば、それは長谷川武の人生を辿ったものの一部としてではなく、もう一冊分の重く深い内容になる」と。

長谷川武は、執行の前の晩に小林弁護士や土本検事だけではなく、今までお世話になった人たちに徹夜でお礼の手紙を書いている。彼は、事件後に手紙をやりとりできる多くの人たちと知り合ってきたのだろう。

小林や土本に残された手紙の一部を読む限りでも、彼が深く考え、いかに罪を償いつつよく生きるかについてまっとうな思索を行ってきたことがよくわかる。やはり人間は書くことでしか考えることはできないし、それも言葉を届けることのできる信頼すべき相手があってこそのことなのだと納得する。