大井川通信

大井川あたりの事ども

『燃エガラからの思考』 柿木伸之 2022

読書会の課題図書。著者を交えた少人数の読書会で議論できたのは、得難い機会で大変刺激を受けた。吹雪の中、二次会も居酒屋に場所をかえて継続して話をすることができた。

実際、著者を目の前にしての読書会というのは難しい。今までも、何度も失敗して痛い思いをしたことがある。自分の貧相な経験と切り結ぶところを忖度なく発信するというのが自分の読みのスタイルだけれども、書き手からしてみれば、見当違いな浅い読みを自信満々で語られても、不快になるだけだろう。

さて、どうするか。幸い、ベンヤミンの研究者である著者の批評のスタイルは、若い時から僕にはなじみのあるもので、共感できるものだった。広島の被爆の歴史やそれをめぐる芸術作品を論じるという堅実で重い内容だが、読みにくさはなく、むしろ興味のままにさくさくと読み進めることができた。電車で降りる駅を通過するくらい夢中になって読めた。

著者は、徹底して考え抜いたあとに書き出すという執筆方法を取っているという。だから論理に説得力があるし文章にあいまいなところはない。ベンヤミン特有の概念や言い回しが多用されているものの、それは普遍的な思考の方法にまで昇華されている。

それぞれアクチュアルなテーマをもち日時や場所に限定された批評の文章が、一冊の本の中で編集・配置されて、現在時点での著者の立場からのていねいな付記がそれぞれの末尾に記されている。これが著者のよどみのない思考の流れを中断し、いったん振り返り、さらに一歩先を示すという身振りになっているのだ。この歩行と立ち止まりの断続が、読者の読みを促すリズムとなっている。

ふつうであれば、著者の批評とその方法について、何事かの感想を述べるというのが読書会での僕の振舞いになるのだが、それだけでは著者と向き合う今回の会には物足りないような気がした。この本の批評の方法とリズムに促されて、いったい僕自身が、どんな燃エガラ(断片)をかき集めて、そこに何を見ようと目をこらすのかの実践が大切であるように思えたのだ。

そこで僕は、この本を読む読書会という場の歴史をさかのぼって、その古層に埋もれた可能性を掘り出すことを準備作業にすることにした。かなり癖のある(ガラパゴス化した)この古風な読書会という場では、どんなに平坦なコミュニケーションをしているようであっても、いわば過去からの声の掣肘を受けている。その見えない力学について語る準備をしておいたのだ。

この準備作業については、二次会での雑談で参加者の一人に話す以外に直接触れることはなかったが、僕が当日の議論に加わるうえで良い影響を与えてくれたように思う。

 

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